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2006.06.01

弥生時代は1000年続いた?--板付遺跡

Itazuke318
復元された弥生時代の水田
向こうの少し高い場所が環濠集落
 
Itazuke323
住宅史2400(2900?)年
手前:弥生時代
奥:平成時代
上空にはしばしば飛行機が飛ぶ
 
Itazuke324

 ここで1首

 稲の穂に
 雨降る星降る光降る
 弥生は千年続くといふか

板付遺跡(博多区)は縄文晩期〜弥生前期の集落・水田跡である。
日本列島最古の水田、つまり「(水稲の)コメ作りの始まり」として教科書でもおなじみの遺跡だ。
周囲に堀をめぐらせた環濠集落と水田が復元され、「弥生のムラ」として保存されている。

「弥生時代の稲作」の発見
第二次大戦前、板付では弥生時代の遺物—銅矛や銅剣、甕棺などが見つかっていた。
しかし、「弥生時代」と「稲作」の結びつきはよくわかっていなかったようだ。

「弥生時代といえば水田稲作」の認識が定まったのは戦後になってからのこと。
1947(昭和22)年、静岡県の登呂遺跡で弥生土器と水田跡を発掘調査し、ようやく「弥生時代に稲作が始まった」ことが証明されたという。
その数年後、板付で縄文晩期と弥生初期の土器が一緒に出土、石包丁や炭化米が発見されて、ここが日本列島の「稲作・弥生時代」の最も古い場所のひとつとして知られることになったのである。

さらに1978(昭和53)年、板付の弥生の水田の下層に縄文晩期の水田跡が確認され、水稲作りは縄文晩期まで遡ることとなった(一説では弥生早期と呼ぶ見方もある)。それは今から2,400年前、紀元前400年頃のことであろう、と。
現在の教科書や公式の解説では「弥生時代は紀元前5世紀から3世紀頃に始まった」というのが定説である。

ところが…。
3年前、これを大きく覆す研究発表が出された。

国立歴史民俗博物館の研究グループが放射性炭素による年代測定を行った結果、

「水田稲作の開始(=弥生時代の始まり)は、紀元前10世紀後半[B.C.900頃]である」

というのだ。
なんと、これまでより500年ほど古くから弥生時代に入ったことに—。

測定した資料は近隣の福岡市や佐賀県の遺跡から出土した炭化米で、板付と同じ形式の土器にくっついていたものだ。測定結果が科学的に信頼性が高ければ、板付遺跡の水田もほぼこの年代に作られたことになるだろう。
↓年代測定研究の詳細はこちら
[PDF] 弥生時代の開始年代 

紀元前900年頃が開始時期なら、弥生時代は1,200年にも及ぶことになる(古墳時代の開始も早まるかもしれないが)。日本の農耕社会は、列島全部ではないとはいえ、 3,000年近い歴史になるのか。
近年、三内丸山遺跡の発掘などで縄文時代のイメージが大きく変わった。今後、弥生時代像もどう変わっていくか、興味津々だ。
教科書が書き換わる日は近いか?

でも、板付遺跡は水田稲作のさきがけにしては地味なのが残念。保存状態もよくないような。

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