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2006年10月

2006.10.31

西公園--神社・寺のお引っ越し

西公園は、福岡市街地から博多湾にポッコリ突き出た岬(荒戸山、またの名を荒津山)の上にある。

園内の光雲(てるも)神社は大きな社殿だけれど、そう有名でなく、櫛田神社とか箱崎宮と違って市内観光バス(一応あるんです)のコースにも入っていない。そりゃー、両社とは歴史の長さが違うし、と言えばそれまでだけど。

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光雲神社は福岡藩の藩祖・黒田如水と、初代藩主・長政を祀っている。
しかし、この神社、始めからここにあったのではなかった。

創建時は福岡城内にあった。つくったのは6代藩主の継高(つぐたか)で、明和5年(1768)のこと。
明治維新で黒田家は東京に移り、社は天神の警固神社近くに移設。
明治40年(1907)に再び移転、この場所に新しく社殿がつくられたとのことだ。

当時の建物は昭和20年6月の福岡大空襲で焼けてしまったので、写真の社殿は昭和41年(1966)新築されたもの。

*  *  *

西公園は見はらしが良く、「絶景」の場所。ならば、偉大なご先祖を祀るのは最初からここにしておけば良かったのに。ねえ、継高さん。

ところが、そうはいかない事情があった。
継高の時代には、藩祖よりエラい方の神社がすでにここにあったのだった。
それは徳川家康を祀る東照宮。
2代藩主の忠之が、立派な東照宮をつくってしまっていた。
忠之といえば、藩主なりたての頃「黒田騒動」でひと悶着起こした人なので、幕府の機嫌取りに懸命になったのだろう。

そんなわけで、江戸時代、絶景の荒戸山に鎮座するのは徳川の初代だったという話。最近、オリンピック招致で福岡市が東京都に敗れたのは何かの因縁だろうか。もっとも、東照宮をつくって幕府をヨイショしたのは、全国各地の有力大名に共通したことらしい。

しかし、明治維新により、徳川のシンボル、東照宮は廃絶。近くにあった将軍のための寺も廃せられた。
神様仏様も、政治の都合で出たり消えたり、あっちこっち動いたりで、難儀なことだなと思う。

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長政の水牛兜像。長政は変わった兜が好きみたい。

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2006.10.26

九州国立博物館の小さな楽しみ

九州国立博物館には模型(ジオラマ)やCGビデオが常置されている。
どこの歴史博物館にもあるタイプだけれど、なぜかこれが見飽きない。
こういうのを偏愛するのは私だけか?

3階・特別展示会場入口の「水城(みずき)造営再現模型」
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白村江の戦い敗戦後、太宰府防衛のため造られたという水城。
その造営場面を再現している。
人夫たちが作業し、青服の人が指揮しているようだ。
…と、左上のほうに見えるのは、耕耘機でないの(笑)。

ジオラマ製作者のイタズラかしらん?

ではなくて、奥のほうは現代の様子を表しているのだった。
写真には写っていないが、小屋の向こうには現代の人が長靴はいて立っていた。
一見、古代に耕耘機が置いてあるように見えるのよ。
やっぱり製作者はお茶目なんじゃなかろうかと。

常設ビデオは「博多湾の9万年」が良い。
特に中世(元寇防塁)から近世(博多の町並み)の場面。
ここをスローモーションで細かく展開してくれたらなあ。

いっそ自分で作ろうかな。ん〜、無理っぽいな。2Dなら可能かも。

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2006.10.24

九州国立博物館の植物

太宰府の九州国立博物館。開館して1年になる。

駐車場から入口への歩道にはさまざまな植物が植えられているので、それを見て歩くのも楽しみ。

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シモツケ。赤い小さな花が可憐。
下野(しもつけ)--今の栃木県--に多いからこの名がついたそうだ。
「地名みたいな名前だねー」と思って、うっかり「シモツマ」と覚えてしまっていた(^^;)

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これはよくわからないのでネットで調べてみた。
オトギリソウ、あるいはトモエソウか?
トモエソウは花びらが巴状にねじれているとのことで、確かにスクリューのようにねじれている。
私は植物名に疎くて、ぱっと見て「何々の花」とわかるのが非常に少ない。
詳しい方にご教示いただければありがたし。

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2006.10.23

聖福寺ジャズライブ

10月22日(日)、「御供所ライトアップウォーク」最終日。
聖福寺境内でジャズライブが行われた。
演奏は中村誠一カルテット。
あいにくの雨だったが、大勢の人が集まった。

お堂(大雄寶殿)の前で熱のこもる演奏。
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境内には昨晩の灯明がレイアウトを変えて配置されていた。
松林の中に点々と置かれた灯明もまた良い。

雨に濡れた敷石に灯りが映える。
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門前の町家の灯り。
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2006.10.22

マイフォトをアップ

マイフォト「九州たび旅(長崎)」をアップしました。
http://ryuseisya.cocolog-nifty.com/photos/q_shu01/index.html

九州各地を訪ねたときの写真です。
だいぶ前のもあります。おいおい追加する予定。
←左のリンク欄からも行けます。

※マイフォトは「ココログ」の機能。写真だけのページを作ろうと思っていたのだけれど、自分で全部作成するより楽なので使ってみました。

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博多灯明の夜(御供所、大浜)

博多高等学園校庭の灯明アート(地上絵)。
ここは昔御供所小学校だったところ。
撮った位置が悪く、絵柄が解りづらい(^^;)
左は鶴のような鶏のような。右は亀らしい。上は…?
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旧大浜小学校。
以前より手ぜまになったけれど、華麗な孔雀の姿を表現。
向こうの御笠川に映る光も灯明にマッチしている。
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灯明を覆う紙が「くしゅくしゅ」で可愛い。
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まちづくり協議会のみなさん、灯明づくりに携わったみなさん、お疲れ様でした。

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2006.10.21

博多灯明の夜(聖福寺界隈)

博多灯明ウォッチング。
西門橋を渡り、旧西門町に入ると、一般道にも灯明が置かれていい感じ。

聖福寺境内。
ほのかな風に灯りが揺れた。
(カメラまで揺れちゃってますが(^^;))
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ライトアップした鐘楼。
お堂を照らす「御供所ライトアップウォーク」は22日まで行われる。
Toumyo700

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セミナーのお知らせ

●Googleセミナー「ロングテール〜新しい広告の開拓地」

NPO法人メッセージ21のイベント
講演:グーグル株式会社 広告プランニングシニアマネージャー
   高広 伯彦氏
日時:11 月 23 日 (木・祝日) 13時30分〜 16時30分
会場:久留米大学 (御井キャンパス 500 号館 1 階 51A 教室)

詳細はこちら

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奈良屋小学校の校章

大同庵跡地内、古渓和尚の像の隣りに奈良屋小学校の碑が建っている。
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奈良屋小学校はここから100mも離れていない場所にあったが、平成10年(1998)をもって閉校、博多部の大浜、冷泉(れいせん)、御供所(ごくしょ)の各小学校と統合して「博多小学校」になった。博多小の校舎は奈良屋小跡地に新築された。

学校の統廃合は新校名でモメそうだけれど、この場合はすんなり決まったのじゃないかな。博多のまち唯一の小学校になったから、博多小以外ありえない、と。
知名度の高いX郡のA町B町C町D町が合併してX市になるようなもので。

この碑は少々古そうなので、奈良屋小に前からあったものを持ってきたかと思われる。尋常小学校時代からの、歴史の古い学校だ。この点は他3校も同様。
校章のデザインが格好良い。由来はわからないが、花のガク部分はカタカナの「ナ」の字を意匠化したのでは?

こちらは博多小学校の校章。
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西島伊三雄氏制作。縄を配しているのは山笠のイメージからだと思う。

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2006.10.19

奈良屋町・古渓水(大同庵跡)

10月17日エントリーの「古地図」があるのはここ。
大同庵跡、または古渓(こけい)水として博多まちめぐりのモデルコースになっている。
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古渓は16世紀後半頃のお坊さん。秀吉の怒りにふれて京から博多に流された。古渓はこの地に大同庵という庵(いおり)を結び、博多の人たちに大切にされたという。
3年後、赦されて京に帰ることに。古渓和尚はお礼として「火ぶせ」を祈る。博多の人々はその場所の井戸を「古渓水」と呼んで火災除けにし、霊験あらたかだったとか。

昭和20年(1945)6月19日の福岡大空襲で一帯は焼け野原になってしまったが、戦後も地元の人たちは古渓を大事にとむらっている。

(写真:中央が古渓の像。左のほうに井戸がある)

*  *  *
博多のまちは「太閤町割」と言われるように秀吉によって基盤が作られた。その秀吉ににらまれた人物を丁重に扱っていて良かったのだろうか? と思うけれども、秀吉の怒りなるものは「しばらく謹慎しとけ」くらいのものだったのかな。
ここの近く(1つ向こうの道路沿い)に秀吉を祀った豊国神社があるのが皮肉というか。もっともこちらは明治になってからできたのだが。古渓にしてみれば「また太閤ににらまれてるのか」と、あの世できまりが悪そうな気がする。

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今も井戸から水がたっぷり出る。

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民家や駐車場に囲まれてひっそりと。
このあたりの旧町名は古渓町だったが、今は奈良屋町に変わっている。

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2006.10.17

奈良屋町の古地図--「通り」が町だった頃

博多・奈良屋町の一角に古地図の石製表示板がある。

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当ブログでたびたびお世話になる文化9(1812)年「福岡城下町・博多・近隣古図」を元に、博多部を表した地図である。大きな寺社と町名のみのシンプルな表示でわかりやすい。
北(博多湾)が下になっており、右が那珂川、左が御笠川(石堂川)。

下の写真は一部を拡大したもの。「呉服町」「蔵本」「奈良屋」「古門戸(こもんど)」「対馬小路(つましょうじ)」などは今でも町名として残っている。
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江戸時代の町はたいへん細かく分かれていて、明治以降少々の変更はありつつも戦後までほぼそのまま受け継がれていた。ところが、昭和41年(1966)、町名町界の大胆な整理統合がおこなわれ、多くの町名が消えた。博多部133町が24町に減ったという(住居表示に関する法律(1962)により、全国の古い都市で同様のことが起きている)。

町の名前が消え、区画が大きくなっただけではない。
古地図に見るように、旧来の町名は「通り」の名前だ。背割り方式(または道路方式)といって、道をはさんだ家が同じ町内だった。それが街路方式--道路や川を境にしたブロックを同じ町とする--に変更されたのである。

このことは博多山笠の運営にも混乱をもたらし、解散、再編に至った流(ながれ)もあった。

思えば、この頃、日本の町は大きく変わったのではないだろうか。「近世を引きずった近代」と訣別したのじゃないかというくらいに。

今や「通り」は町ではない(通路ではある)。
ただ、町の改組を経ても、山笠は毎夏「通り」を町に呼び戻す。通りを舁き(走り)まわり、古地図の如く、通りが町になる時を作るのである。

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2006.10.16

博多灯明ウォッチング

博多灯明ウォッチングの季節になった。今年で12回目だそうである。

これは、昔、博多の寺社などで灯明をともして安全祈願する「千灯明」が行われていたのを復活させたもの。

今は市民ボランティアが大勢でつくるイベントとなり、15,000個の灯明が博多のまちにともされる。

10月21日(土)午後6時〜9時
御供所地区;聖福寺 承天寺 博多高等学園(旧御供所小) 幻住庵周辺 等
冷泉地区;櫛田神社 博多町家ふるさと館 櫛田参道
奈良屋地区;奈良屋公園 沖浜稲荷 豊国神社等
大浜地区;旧大浜小学校跡地

総合受付;博多リバレイン鏡天満宮前
御供所地区;順心寺駐車場 冷泉地区;櫛田神社
奈良屋地区;奈良屋公園  大浜地区;旧大浜小学校跡地

詳しくは「第12回博多灯明ウォッチング」blog
博多灯明ウォッチング」のサイト

※奇しくも日本シリーズ初日と同じ日(時間もほぼ同じ)(^^;)
中日ファンの私は、胸さわぎ(何の?)を抑えて、静かに夜の灯りを楽しむのが良いではないかと。

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2006.10.15

櫛田神社に行く道の鳥居は案外新しい

櫛田神社正面から200mほど前、大博通りに面した鳥居。

Kusida620(写真:手前側が櫛田神社、向こうは大博通りをはさんで東長寺)

昭和9年奉納とある。この年に造り直したのか、それとも新規に造ったのか? と思って古地図を調べてみた。

「福岡城下町・博多・近隣古図」(文化9年:1812年)を見たら、この場所に道がなかった(^^;)
大博通り(当時は市小路--いちしょうじ)はあるが、櫛田神社からの道路はなく、4堂のお寺が並んでいる。当然、鳥居はあるわけもない。

近代の地図を検証すると、明治41(1908)年、櫛田神社側から途中までの道が出現しており、昭和7(1932)年に、初めて大博通りまで道が繋がった地図が出てくる。
(九州大学デジタルアーカイブ「近代福岡市街地図」より。掲載地図は毎年でなく、間が飛んでいる場合がある)

とすると、この鳥居は、昭和7年頃に神社までの道が出来、その折りに建てられたと考えられる。
櫛田神社のすぐ前に鳥居はあるのだし、お寺の敷地に道を通して新たな鳥居を造るのは不自然な気がするが、その頃大博通りに路面電車の電停(奥の堂)があったので、櫛田参りに便利なように、と思ったのかもしれない。


Kusida622_1大博通りから見る。
長い間お寺があったせいか、この付近は参道っぽくなくて横はビル。通りからは目立たない(ビルと同じような色なので)。
奥に進むと神社前に「博多町家ふるさと館」--古い民家を移築し、内部は資料館--がある。

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2006.10.14

博多の橋(その3)--石堂橋

石堂橋(いしどうはし)は、西門橋とともに古い、石堂川(御笠川)に架かる橋である。
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向こう側が博多。右が河口(博多湾)。

近世の地図に載っている石堂橋は、西門橋より幅広く、立派な欄干付きのようだ。
(「博多旧図」右側上方の橋:江戸後期 九州大学所蔵)

この地図で言うと、石堂橋から左のほうへ伸びる道が当時の博多のメインストリートで、中洲を経て福岡城に通じていた。
中洲の2つの橋も欄干があって立派。藩主が参勤交代で江戸に行く通りだから、橋のつくりも良かったのだろう。ほかの橋と比べると一目瞭然である(中洲の川上の橋などは、板を渡して橋桁があるだけ)。

今の橋は近年のコンクリート製だけれど、真ん中がふくらんだ太鼓橋の形状、欄干に提灯のオブジェを配して、江戸時代の雰囲気を再現している。

Isidou255 Isidou241
江戸期の堂々たる橋も、明治以降は大通りの座を新しい橋に譲って慎ましくしている。江戸日本橋のように上面を高速道路に覆われることもなくて良かった。

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2006.10.13

百道浜--博物館から図書館へ

福岡市博物館の外観。
Hakubutu629

福岡市総合図書館は博物館から道ひとつ隣り。
図書館から福岡タワーを見る。
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「空海と九州のみほとけ」展--福岡市博物館

福岡市博物館で行われている「空海と九州のみほとけ」展を見た。
今年は空海が唐から帰国して1200年にあたる。それを記念した展示会である。

Kuukai

展示は九州北部の仏像約100体。平安・鎌倉期の仏像が中心だった。
福岡市博物館のサイト

入口に大きな毘沙門天の像。なんとこれが「個人蔵」。こんな大きな古仏を個人で所有している人って…。
明治の廃仏毀釈で寺が潰れてしまったのか? 詳細はわからないが数奇な運命を経てきたのかと思う。

普門院(福岡県朝倉市)、長谷寺(ちょうこくじ:福岡県鞍手町)の2体の十一面観音菩薩立像の美しさに目をひかれた。
どちらも平安時代に作られた木造仏で、昔は秘仏とされ、60年に一度とか33年に一度しか見られなかったという。

普門院の観音さんは身体をやや「く」の字に曲げている(腰が左に寄っている)。薬師寺の薬師三尊--日光・月光菩薩を思い起こさせる。

■神社にある仏様

神社からお出ましになった仏像もあった。
大分県杵築市・奈多宮の八幡(はちまん)三神座像。僧形八幡神・伝神功皇后・伝比女神(ひめのかみ)のお三方がセットになっている。
八幡神とは応神天皇のことをいう。神功皇后は応神天皇の母、比女神は応神天皇の妃とされる。

応神天皇は武人のイメージが強いから(八幡神は武士の神)、お坊さんの姿をしているのはなんとも面白い。僧形八幡神は各地にあるらしい。

神も仏、祖先も仏とする日本の仏教は、もともとの仏陀の教えとは随分(まるで)違ったものなのだろう。

※「空海と九州のみほとけ」展は10月29日(日)まで。

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2006.10.08

プレーオフ 盛り上がってはいるけれど

Hawks363_1
2006年交流戦
パ・リーグプレーオフ第2戦(ホークスvsライオンズ)をTVで見る。

試合内容と結果はともかく…
所沢(インボイス)でやってるのにホークスファンが多いなあ。ほとんど半々に見えた。連休だし、福岡から乗り込んだホークス応援団が多かったようだ。
逆に言うと、ライオンズファンが少ないということ。

西武ライオンズは、球団創立当初には宣伝に力を入れていて、ラジオ中継「はっきり言ってライオンズナイター」なんてのもあった(中継アナウンサー、ライオンズひいきしまくり)。←今でもあるのか?
チームはずっと強いし、パ・リーグの人気球団だと思っていたのに、近年は「客少な〜〜」感がありあり。やはり堤氏失脚が大きかったであろうか。松坂はメジャーに行くと聞くし、来季はもっと寂しくなっちゃうかも。

* * *

プレーオフは盛り上がるには盛り上がるけれど、釈然としない制度なのは確か。

「10ゲーム以上離されていても、最後の4、5勝で優勝?」
「勝率5割以下のチームが日本一になれるっておかしい」
「百数十試合の勝率1位チームが優勝じゃないなんて」

いずれももっともな指摘だ。

しかし、スポーツ興行では、必ずしも「通算成績1位=優勝」ではない。
ワールドカップ、オリンピック、世界選手権などは、予選+決勝の競技が多い。予選で圧勝しても、あるいは世界新記録を出しても、決勝で負けたら優勝ではないのだ。
夏の高校野球(選手権大会)も、県大会百校以上の神奈川県代表は数十校の島根県代表よりたくさん勝ってきているが、本大会でアドバンテージをもらえるわけじゃない。

通算成績のみを絶対視する必要はないんじゃないか、という見方もできるのである。

(そのあたりを「captain log-スポーツコラム --プロ野球、プレーオフ論」にて、キャプテンさんが北米プロスポーツを紹介しつつ論じている)

それも理のある考え方だと思う。

であるにしても、日本プロ野球のレギュラーシーズン/プレーオフを、予選/決勝、高校野球の県大会/本大会などと同じように見るのはまだしっくりこない。

シーズンの試合が多すぎ(期間が長すぎ)、プレーオフの試合が少なすぎ(期間が短すぎ)だからではないだろうか。
サッカーのワールドカップにしろオリンピックにしろ、決勝トーナメントの10倍以上の予選試合を本大会でやってるわけじゃないし。
100以上のシーズン試合数に比して、2勝で勝ち上がり、3勝で勝ち上がり、は、「たったそれだけで?」という気分がどうしても出てしまう。
さりとて、短期決戦であるがゆえに1試合の重みが出て白熱するのも事実。プレーオフの長所は欠点でもあり、両立は難しいものだと思う。

* * *

ネットを少々見てみたら、プレーオフ制に反対する人には中日ドラゴンズファンが多いようだった。なにしろ短期決戦に弱いからねーこのチームは。日本シリーズで負け続けだもん(落合監督も反対してた。中日の監督だから、ではないと思うが)。
それでも、2位や3位に食い込むことも多いのだから、短期決戦機会が増えて、そのうちうまくなるかも。そっちに期待しておこう。

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2006.10.06

オリンピック招致費用、4億5千万円也

しつこくオリンピックネタ。

福岡市のオリンピック招致費用は約2億円と言われていた。
その後「不足分」「人件費」等が明らかにされ、計4億5,881万円にのぼることが判明(まだ増えるか?)

あらき龍昇市議のサイト(9月19日)より抜粋。

05年度予算流用額…4837万円余
06年度予算1億5千万円と不足のための流用額…3500万円
人件費…2億395万円余
招致予算以外から市長室や総務企画局、財政局、東、南、城南区役所から…2199万円
合計…4億5881万円

一方、市はこんなことを言っている(福岡市公式サイト:寄せられた市民の声「オリンピック招致運動は有意義だったのでは」への回答より一部引用)

 九州の結束力や強固な信頼関係,将来にわたる本市のまちづくりへの展望,市役所あげて行った市民との率直な対話の積み重ねなど,金銭に換算できない財産を,この招致活動を通して得ることができたと考えており,この経験を今後の市政運営に活かしてまいります。
(市民局 スポーツ部)

4億円を超すお金を使って「金銭に換算できない財産を得た」…ねえー。

そういうのを「経済観念がない」と言うのでは?

将来にわたる展望 → 須崎埠頭開発をぶち上げたり白紙に戻したり。
率直な対話の積み重ね → 市民アンケートで賛否も問わない。

首をかしげる行政手法がいっぱいあったのだが。

あらき龍昇市議のサイトでは「山崎市長のオリンピック招致の責任を求める住民監査請求の賛同署名」協力を呼びかけている。

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2006.10.03

福岡のデパートはやはり岩田屋なので

久しぶりに岩田屋に行った。
とくに岩田屋に用があったのではないが。

福岡のデパートといえば岩田屋、という刷り込みが私にはある。これは私だけじゃないようで、出産祝いに届いたのはやはり岩田屋のギフトだった。
福岡市内の近代的百貨店としては、玉屋・松屋より後発だったのだけれども、西鉄大牟田線(当時は九州鉄道)福岡駅に隣接したのが功を奏し、福岡を代表するデパートになった。
(参照:西日本新聞「天神あのころ…岩田屋の67年」

映画「嫌われ松子の一生」に出てきた、“いかにも”なCGの「磐井屋デパート」は、かつての岩田屋である。
その(CGになった)建物を残して、岩田屋は少し西方にお引っ越しした。

Tenjin617

現在の岩田屋、本館--新館間の連絡橋から西鉄福岡駅方面を見る。
「岩田屋」の文字の上に見える「岩」マークは、創業時の商標「カクイワ」。80年代にモダンなデザインに変えたのだが、経営再建の折りに元に戻したのだとか。
「岩」マークは誰が見ても岩田屋 な感じがわかって良いですね。

Tenjin619

逆方向(西の空)。

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