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2006.10.19

奈良屋町・古渓水(大同庵跡)

10月17日エントリーの「古地図」があるのはここ。
大同庵跡、または古渓(こけい)水として博多まちめぐりのモデルコースになっている。
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古渓は16世紀後半頃のお坊さん。秀吉の怒りにふれて京から博多に流された。古渓はこの地に大同庵という庵(いおり)を結び、博多の人たちに大切にされたという。
3年後、赦されて京に帰ることに。古渓和尚はお礼として「火ぶせ」を祈る。博多の人々はその場所の井戸を「古渓水」と呼んで火災除けにし、霊験あらたかだったとか。

昭和20年(1945)6月19日の福岡大空襲で一帯は焼け野原になってしまったが、戦後も地元の人たちは古渓を大事にとむらっている。

(写真:中央が古渓の像。左のほうに井戸がある)

*  *  *
博多のまちは「太閤町割」と言われるように秀吉によって基盤が作られた。その秀吉ににらまれた人物を丁重に扱っていて良かったのだろうか? と思うけれども、秀吉の怒りなるものは「しばらく謹慎しとけ」くらいのものだったのかな。
ここの近く(1つ向こうの道路沿い)に秀吉を祀った豊国神社があるのが皮肉というか。もっともこちらは明治になってからできたのだが。古渓にしてみれば「また太閤ににらまれてるのか」と、あの世できまりが悪そうな気がする。

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今も井戸から水がたっぷり出る。

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民家や駐車場に囲まれてひっそりと。
このあたりの旧町名は古渓町だったが、今は奈良屋町に変わっている。

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