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2006.10.17

奈良屋町の古地図--「通り」が町だった頃

博多・奈良屋町の一角に古地図の石製表示板がある。

Narayamap647

当ブログでたびたびお世話になる文化9(1812)年「福岡城下町・博多・近隣古図」を元に、博多部を表した地図である。大きな寺社と町名のみのシンプルな表示でわかりやすい。
北(博多湾)が下になっており、右が那珂川、左が御笠川(石堂川)。

下の写真は一部を拡大したもの。「呉服町」「蔵本」「奈良屋」「古門戸(こもんど)」「対馬小路(つましょうじ)」などは今でも町名として残っている。
Narayamap47

江戸時代の町はたいへん細かく分かれていて、明治以降少々の変更はありつつも戦後までほぼそのまま受け継がれていた。ところが、昭和41年(1966)、町名町界の大胆な整理統合がおこなわれ、多くの町名が消えた。博多部133町が24町に減ったという(住居表示に関する法律(1962)により、全国の古い都市で同様のことが起きている)。

町の名前が消え、区画が大きくなっただけではない。
古地図に見るように、旧来の町名は「通り」の名前だ。背割り方式(または道路方式)といって、道をはさんだ家が同じ町内だった。それが街路方式--道路や川を境にしたブロックを同じ町とする--に変更されたのである。

このことは博多山笠の運営にも混乱をもたらし、解散、再編に至った流(ながれ)もあった。

思えば、この頃、日本の町は大きく変わったのではないだろうか。「近世を引きずった近代」と訣別したのじゃないかというくらいに。

今や「通り」は町ではない(通路ではある)。
ただ、町の改組を経ても、山笠は毎夏「通り」を町に呼び戻す。通りを舁き(走り)まわり、古地図の如く、通りが町になる時を作るのである。

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