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2007年2月

2007.02.27

長崎--ランタンフェスティバル・眼鏡橋

有名な眼鏡橋がかかる中島川。
ここは黄色のランタンの満艦飾。
ランタンフェスティバルも回を重ねて、会場・地域ごとに特色を出しているようだ。
昼・夕暮れ時・夜、と、3回も行ってしまったよー(笑)
Megane850
Megane233
Megane898

川に映っているランタンの色が実際の色に近い。

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2007.02.22

長崎--ランタンフェスティバル・崇福寺

去年、崇福寺に行ったのは昼間だった。今年は夜に行こう、と決めていた。

Sofukuji90_1崇福寺は江戸時代初期(寛永6年:1629年)につくられた中国の寺。

その頃、長崎には中国人が大勢いて(6人に1人は中国人だったとか)、彼らが中国から名工を招いてつくったのだそうだ。
キリスト教が禁じられたため、仏教徒であることを示そうとした意味もあるという。

長崎市中にはいくつか中国寺が建造され、福建省出身者がつくったのが崇福寺(「福州寺」と呼ばれた)。南京の出身者は興福寺をつくり、そちらは「南京寺」と呼ぶ。

Sofukuji92_2少し扁平で赤い大きな提灯が鮮やか。



Sofukuji86_2
崇福寺の三門(さんもん)。
お寺の入り口の門で、普通は山門と言うのだが、この門は扉が三つあるから「三門」なのだそうだ。
門の前には狛犬もいる。
上の額に「聖寿山」とある。中国(明)から黄檗宗を広めた隠元和尚の筆による。

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2007.02.18

ブログにFlash貼ってもよかですか

このブログ(ココログ)に貼れる画像はgif、jpeg、pngということになっている。
Flashアニメは貼れるだろうか。

実験してみた。

簡易作成モードの「画像挿入」では断られた(やっぱり)。
なので、「HTMLの編集」モードでタグを直に書いた。

で、こうなりました。↓


タグは
<embed width="***" height="***" src="http://****/***.swf"></embed>
(***は各々の数値、URL、ファイル名)

この方法はFlashなブログ [ 動くWebは好きですか?]でお知恵拝借したもの。
ブログ主のloveforlovesさん、ありがとう。

最近ブログにYouTubeの動画を貼っている人を多く見かけるので、ムービーや音楽も一般サイトと同じようにブログに貼れるのかな、と思って。

ただ、重いファイルを貼ったら何かと問題が起きるかもしれない。上のFlashはさほど重くないけれど。そのへんの検証はまた後日。

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2007.02.17

路地を歩く(吉塚)

Roji806JR吉塚駅からすぐの場所。
マンションが並ぶ通りから入ると、こんな狭い道があって。
道は不意に曲がっていたり行き止まりだったりするので、方向音痴の私は迷っちゃうだろうな。
ヒマなときはこういうところを歩くのが楽しかろうかと。

写真の奥(道の突き当たり)は駐車場になっているが、もとは銭湯があったところ。2年前の福岡の地震で損傷したのか、廃業してしまった。

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2007.02.06

日本書紀の謎--「大化改新 隠された真相」

NHKスペシャル「大化改新 隠された真相」では、「日本書紀」述作の謎にもスポットを当てた。

森 博達・京都産業大学教授は、日本書紀の音韻と語法を分析した結果、

書記には中国人が書いた巻(α群)と日本人が書いた巻(β群)とがある

と言う。

α群はほぼ正しい漢文で書かれているが、β群は不正確な漢文(日本語ふう漢文)が多い。
大化の改新とその後について書いている巻二十四・二十五はα群であり、正確な漢文であるが、中に「中国人なら書かないであろう誤用・日本語ふう漢文」の箇所があるというのだ。

例えば

「荳以天孫鞍作耶」
→荳(あに)天孫を以(もち)て鞍作に代へむや
(どうして天皇家を鞍作(=入鹿)に代えられようか。代えられるはずもない)

入鹿を斬りつけた中大兄皇子が天皇に言った言葉だが、この語順は漢文として正しくない。「天孫」と「鞍作」が逆なのだとか。

森教授は、これらの箇所は後で加筆修正されたと見る。だから、日本書紀の大化の改新にかかわる記述はそのまま信用することはできない、と。

****

日本書紀の制作は持統天皇から元明天皇の時代に行われた。二人とも天智天皇(中大兄皇子)の娘である。また、この時代に権力を持ったのは中臣(藤原)鎌足の子・不比等だ。自分の父たちが倒した蘇我氏、特に入鹿を極悪人・逆臣に仕立てて歴史書を作ったことは当然考えられる。

こうした見方は以前から多くあったが、想像の世界を膨らませたストーリーに頼らず、遺跡や文献を緻密に分析する研究が進められることを期待する。

※森教授の著作として、「日本書紀の謎を解く--述作者は誰か」中公新書 1999 がある。日本書紀述作者は「渡来した中国人」と「漢文を知る日本人」であったとする分析過程が述べられている。読みやすいとは言い難いが、日本書紀成立の背景を考える上で非常にスリリングな内容だと思う。

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2007.02.04

大化の改新はバックラッシュ?--NHKスペシャル「大化改新 隠された真相」

2日放送のNHKスペシャル「大化改新 隠された真相」は見ごたえがあった。

従来の「大化の改新」像---

天皇をないがしろにする蘇我氏を滅ぼし、天皇親政の政治にした。
様々な改革を行い、律令制のさきがけとなった。

--には、近年疑問が出されている。
今回の番組は、最新の発見を元に、新たな「大化の改新」を構築するものであった。

■「蘇我入鹿邸」は大邸宅でなく倉庫を含む要塞

蘇我入鹿の邸宅跡と見られる甘樫丘(あまかしのおか)東麓遺跡の調査により、石垣と建物の跡が発見された。

「蘇我蝦夷・入鹿父子は権勢を誇り、甘樫丘の蘇我邸を『宮門(みかど)』と呼ばせた」と、日本書紀などに記されている。

では、さぞや立派な邸宅だったろう…と思いきや、発見された建物跡は、小屋や倉庫が多かったのだ。倉庫は武器庫だったようだ。

入鹿が邸宅の敷地内に武器庫を備えた意図は?
「宮を防衛する要塞にしたのではないか」と猪熊兼勝教授(京都橘大学)は言う。

甘樫丘は、天皇のいる宮の近くの小高い丘である。宮に侵入せんとする外敵があらば、すぐに発見できる。
さらに、宮の南には入鹿の祖父・馬子の邸宅、北には蘇我氏の氏寺である飛鳥寺があり、甘樫丘を合わせて3つの「蘇我関連施設」が宮を取り囲んで外敵から守れるように配置されている。

蘇我氏は「天皇家を脅かす存在」というよりむしろ「天皇家を外敵から守る役割を果たそうとした」のじゃないか、そうした考え方が浮かび上がるのである。

■蘇我氏と中大兄皇子 外交政策の違い

番組は、蘇我氏と中大兄皇子の政策の違いを述べる。

蘇我氏の先祖は朝鮮と縁が深い。朝鮮半島の情報を仕入れ、強大化する唐との融和策を進めた。宮の防衛を固める一方で、外交も多面的に行ったという。

中大兄皇子の政策はそれとは正反対だった(京都府立大名誉教授・門脇禎二氏の話)。外交は百済一辺倒で、唐を敵対視。でありながら、防衛も行わず、酒船石などヘンな公共工事ばかり。

門脇氏は「入鹿こそ改革派。大化の改新は『改新』でなく、中大兄皇子ら守旧派の反動的クーデターだった」と見る。

そして、大化の改新から18年後の663年、白村江の戦で倭国軍は唐・新羅連合軍に大敗。
この敗戦の後に中大兄皇子は天智天皇となり政策を転換、防衛強化と律令国家作りを始めた。「改新」政策を裏付ける資料は天智天皇即位後のものしか見つかっていないのだという。

■大化の改新はバックラッシュだったのか

こうしてみると、大化の改新の「改革派」「抵抗勢力」は、従来説とまったく逆だったんじゃないかと。「大化のバックラッシュ」「失われた18年」と言ってもいいものだったのかという気がしてくる。

もっとも、今回の番組で出された説が「確定」というわけではない。他にも数々の疑問点があるし、異なる解釈もあるであろう。

ただ、「大化の改新 645年 改革の始まり始まり〜」のような教科書記述は、そろそろ書き直してもよいのではないだろうか。645年に蘇我蝦夷・入鹿が滅亡した政変は「乙巳の変(いっしのへん、おっしのへん)」と呼ぶのがよいと思う。

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2007.02.01

「百姓」が登場するドラマ--「風林火山」

NHKの大河ドラマ「風林火山」。
ドラマには珍しく、百姓がよく出てくる。それも、名前のある役で。

いくさで村を襲われたり、いくさに出て手柄をねらう百姓もいたり。
深沢七郎の「笛吹川」を思い起こした。
あれも甲斐の国の百姓の話。時代もほぼ同じ、武田のお館(やかた)様の頃だ。

先日の放映で、百姓の女で山本勘助の妻となったミツが死んでしまった。
お館様(武田信虎:信玄の父)が鹿狩りに来て、なんでか知らないがミツを殺したのだ。
「笛吹川」でも、お館様の子どもの“えな”(胎盤)を埋めるよう命じられた爺ちゃんが、鍬の先で自分の足を傷つけてしまい、武田家家臣に「穢れた!」と斬られちまった、という話があったなー。
そのくらいのことで人を殺したのかね、この時代の侍は。

ミツはお腹に勘助の子どもを宿していた。
亡くなったミツに被せられたムシロを、勘助がそっとめくる。
そのとき、ミツの股間から赤ん坊が這い出して…てなことをちょっと期待したんだけど、さすがにそれはなかった(^^;)--それじゃ勘助が子連れ狼になってしまうよね。

勘助はこのあと信玄(当時は晴信といった)に仕え、村を離れるので、百姓が出るシーンは少なくなりそうだ。
ただ、ミツの兄・伝助と、ミツを好いていた若者・平蔵が割合重要な役回りで引き続き登場するようではある。

物語において、百姓は主人公や主たる登場人物になりにくいが(たまにあるけど、プロレタリア映画みたいになってしまう)、日本人(日本列島住人)の8割方は百姓の子孫だし、たまには百姓が名前を持って出てくる話もあってほしいなと思う。

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