« 「百姓」が登場するドラマ--「風林火山」 | トップページ | 日本書紀の謎--「大化改新 隠された真相」 »

2007.02.04

大化の改新はバックラッシュ?--NHKスペシャル「大化改新 隠された真相」

2日放送のNHKスペシャル「大化改新 隠された真相」は見ごたえがあった。

従来の「大化の改新」像---

天皇をないがしろにする蘇我氏を滅ぼし、天皇親政の政治にした。
様々な改革を行い、律令制のさきがけとなった。

--には、近年疑問が出されている。
今回の番組は、最新の発見を元に、新たな「大化の改新」を構築するものであった。

■「蘇我入鹿邸」は大邸宅でなく倉庫を含む要塞

蘇我入鹿の邸宅跡と見られる甘樫丘(あまかしのおか)東麓遺跡の調査により、石垣と建物の跡が発見された。

「蘇我蝦夷・入鹿父子は権勢を誇り、甘樫丘の蘇我邸を『宮門(みかど)』と呼ばせた」と、日本書紀などに記されている。

では、さぞや立派な邸宅だったろう…と思いきや、発見された建物跡は、小屋や倉庫が多かったのだ。倉庫は武器庫だったようだ。

入鹿が邸宅の敷地内に武器庫を備えた意図は?
「宮を防衛する要塞にしたのではないか」と猪熊兼勝教授(京都橘大学)は言う。

甘樫丘は、天皇のいる宮の近くの小高い丘である。宮に侵入せんとする外敵があらば、すぐに発見できる。
さらに、宮の南には入鹿の祖父・馬子の邸宅、北には蘇我氏の氏寺である飛鳥寺があり、甘樫丘を合わせて3つの「蘇我関連施設」が宮を取り囲んで外敵から守れるように配置されている。

蘇我氏は「天皇家を脅かす存在」というよりむしろ「天皇家を外敵から守る役割を果たそうとした」のじゃないか、そうした考え方が浮かび上がるのである。

■蘇我氏と中大兄皇子 外交政策の違い

番組は、蘇我氏と中大兄皇子の政策の違いを述べる。

蘇我氏の先祖は朝鮮と縁が深い。朝鮮半島の情報を仕入れ、強大化する唐との融和策を進めた。宮の防衛を固める一方で、外交も多面的に行ったという。

中大兄皇子の政策はそれとは正反対だった(京都府立大名誉教授・門脇禎二氏の話)。外交は百済一辺倒で、唐を敵対視。でありながら、防衛も行わず、酒船石などヘンな公共工事ばかり。

門脇氏は「入鹿こそ改革派。大化の改新は『改新』でなく、中大兄皇子ら守旧派の反動的クーデターだった」と見る。

そして、大化の改新から18年後の663年、白村江の戦で倭国軍は唐・新羅連合軍に大敗。
この敗戦の後に中大兄皇子は天智天皇となり政策を転換、防衛強化と律令国家作りを始めた。「改新」政策を裏付ける資料は天智天皇即位後のものしか見つかっていないのだという。

■大化の改新はバックラッシュだったのか

こうしてみると、大化の改新の「改革派」「抵抗勢力」は、従来説とまったく逆だったんじゃないかと。「大化のバックラッシュ」「失われた18年」と言ってもいいものだったのかという気がしてくる。

もっとも、今回の番組で出された説が「確定」というわけではない。他にも数々の疑問点があるし、異なる解釈もあるであろう。

ただ、「大化の改新 645年 改革の始まり始まり〜」のような教科書記述は、そろそろ書き直してもよいのではないだろうか。645年に蘇我蝦夷・入鹿が滅亡した政変は「乙巳の変(いっしのへん、おっしのへん)」と呼ぶのがよいと思う。

|

« 「百姓」が登場するドラマ--「風林火山」 | トップページ | 日本書紀の謎--「大化改新 隠された真相」 »

「地域・歴史」カテゴリの記事

「映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/132693/13779446

この記事へのトラックバック一覧です: 大化の改新はバックラッシュ?--NHKスペシャル「大化改新 隠された真相」:

» Nスペ「飛鳥発掘が覆す大化改新」 [今日感]
大化改新に関する新説だった。 蘇我蝦夷・入鹿は、専横のかぎりをつくしたどころか、天皇家(大王家)を守る中心で、唐の侵略から飛鳥をまもるために、甘樫丘に居をかまえたという。 しかも、日本書紀に伝えられるように、甘樫丘の蘇我邸は、宮城を模したものではなく、実務的な砦だったと。 さらに、大陸の事情に詳しい蘇我氏は、百済や新羅とも交渉できる素地をもっていた。... [続きを読む]

受信: 2007.02.05 20時46分

« 「百姓」が登場するドラマ--「風林火山」 | トップページ | 日本書紀の謎--「大化改新 隠された真相」 »