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2007年3月

2007.03.30

愛宕山ケーブルカー

Atago50愛宕にケーブルカーがあったという表示板。

昭和3年から18年までの15年間稼働した。
ルートは明治通りの「愛宕下」(市内電車路線)から愛宕神社境内まで。8人乗り箱形ケーブルカーが2分かかって昇った。
車の少ない時代、参拝客、観光に人気を博したという。

廃止したのは戦争のため。従業員の徴兵、金属供出でロープ、ワイヤ、車体も差し出し、廃業を余儀なくされた。
「根こそぎ持っていかれた」とは昨今横行する金属泥棒みたい。人まで持っていくのだから窃盗犯よりも怖いかと。

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2007.03.29

愛宕神社から博多湾を眺める

Atago35愛宕神社から見た博多湾。
真ん中に福岡タワー、その右のビルの陰にヤフードームが見える。前の川は室見川。
※今の季節、晴れた日は黄砂がすごくて空も向こうの島も黄色っぽく霞んでしまっている。

ビルの左側に松林が見えるけれど、このへんは全部埋め立て地で、十数年前まで海だった。
埋め立てでできた海岸に松の木を植えて、「白砂青松」の景観をつくった模様。大河ドラマ「時宗」はこの海岸をロケ地に使い、鎌倉時代の博多の町のセットを作ったそうだ。

川のこちら側、低層住宅が広がる町も、昭和30年頃まではほぼ海。
私の感覚では、ヤフードーム(ホークスタウン)あたりからの距離感で、「愛宕は福岡の内陸の山」の感じがあったけれど。本当は海のすぐそばの山であり、神社だったのね。

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愛宕神社まわりの桜

福岡市内でも桜がだいぶ咲いてきた。
うちの近くでは今週末が満開かなあ。

愛宕神社(西区)周辺は満開近くて、ちょうど見頃だった。

Atago42_1姪浜から山を登って愛宕神社に着く。
この一帯は福岡の桜名所のひとつだ。

写真は稲荷神社。愛宕神社から石段を降りていった所。

Atago53_1愛宕の山の中腹、観音寺の桜。

Atago60_1

Atago59_1観音寺前から姪浜の町を見る。

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2007.03.28

柳川--雛祭り(1)

柳川の雛祭りに行った。
柳川といえば、「さげもん」なのですよ。

Yanagawa97_2さげもん というのは、手鞠や布製の小物を下げた飾りのこと。
柳川地方の風習で、初節句に母親や祖母たちが手作りしてお雛さまと一緒に飾る。

写真は柳川藩主の別邸「御花(おはな)」に飾られたさげもん。
部屋に入ったら思わず「わぁ!」と言ってしまった。
緋毛氈の雛飾りも立派なのだけれど、いっぱいのさげもんがぁあ…。
お花畑かというように咲き誇って(確かにここは「お花」)。

Yanagawa92手鞠や小物の一つひとつが可愛らしく、丁寧にできている。
小物のモチーフは、鶴・兎・宝袋・鶏・海老などの縁起物。這い這いしている赤ちゃんの人形もあるし、丸々と太った金魚はご愛敬。

…しかし、これ作るの大変よね。私が柳川で子どもを生んでいたら、手芸は好きなほうだから、子どもそっちのけでさげもん作りにハマってそう。いやーあぶないな。孫が生まれたらプレゼントというのはいいかもしれない。

* * *
さげもんは御花のほか市内各所の商店に飾られ、「さげもん館」や観光案内所でも見られます。
柳川雛祭りは4月3日の「流し雛」まで行われますので、桜と共にさげもん、お雛さまを見に行ってみられたらいかがでしょうか。
柳川への交通:西鉄天神大牟田線「柳川」下車。福岡から特急で45分。
柳川駅から御花までは2km。ドンコ舟で約1時間(船頭さんの解説付き)。

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2007.03.26

長崎--下を向いて歩こう

Nagasaki59_1長崎市中心街。
通り名や町名にちなむマークが道路にぺたり。

←銀屋町の通り。将棋の駒に「銀」の大きな文字が。

Nagasaki61これはどこの通りだったかな?

Nagasaki62東古川通りとアルコア中通りの交差点。
「アルコア」って珍しい通り名だけど、由来は何だろう。

思いつくのは「北斗七星の近くにある四等星の名前」。
子どもの頃読んだアルセーヌ・ルパンの話で知った。
裸眼で見えるか見えないかの明るさなので別名「視力検査」という。
(ルパンの話は、この星の位置に財宝のありかの謎が隠されているとかいうのだったかと。もうストーリーも書名も忘れてしまった)

それに関係あるのか無いのかは知らねど、アルコア中通りは長崎で最も古い商店街で、洒落たお店が並ぶ所。

Nagasaki34大浦海岸通りの道路。★の形は長崎市のシンボルマークだそうだ。中にしっかり草が生えているのがいい。

Nagasaki77夜にはこんな可愛いのも。

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平戸の写真をアップ

平戸(長崎県)の写真をマイフォトにアップしました。

撮影はかなり前の夏です。

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2007.03.25

長崎--旧町名の復活

Nagasaki60長崎市中心部の旧町名が、2007年1月に一部だけど復活した。
復活したのは「銀屋町」と「東古川町」。

41年前の住居表示変更(町名町界変更)で古川町と鍛冶屋町に再編されていた地区を、江戸時代からの町名に戻したんだって。

銀屋町は銀細工の職人が住んでいたことから江戸時代初期に名付けられた。「銀屋」は日本に一つしかない町名だとか(細工町ならあるんだけど)。

長崎くんち祭りで銀屋町を単位とする奉納踊りを続けていることも、町名復活の力になったのだろう。

Nagasaki54こういう旧町名復活が正式になされたのは金沢市に次いで2番目。
博多でもあるといいんじゃないかな。土居町とか。「土居流」として山笠やっているのだし。

←写真のように、公式復活は(まだ)していないが、旧町名を表示しているところもある。「磨屋(とぎや)町」って、銀屋町と同じく、江戸時代、明治時代の生活が思い浮かんで味わいのある名前だ。

Nagasaki53界隈にあるカステラ屋さん。

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2007.03.18

長崎--奉行所復元と遠山の金さん

Bugyou41長崎歴史文化博物館。
おととしの秋に開館した新しい施設だ。

長崎奉行所を再現した建物と、歴史展示スペースがある。
実際にあった奉行所に忠実に造ってあるみたい。
最近は「歴史に忠実に」が主流コンセプトらしいから。
(数十年前は、復元されたお城に実際には無かった天守閣をつけるとかの「偽装」が結構あったそうだ。見栄えを考えたのだろうけど、そりゃいけませんわね(笑))

館内で「長崎奉行の執務」の立体映画が上映されていた。
江戸から赴任した第84代長崎奉行・遠山左衛門尉景晋の1年を描いている。
遠山景晋(風間杜夫さんが演じた)は、あの遠山の金さんのお父さんなんだそうである。

Bugyou43奉行は、今でいうと知事・市長・警察署長・裁判長を兼ねたような大役。長崎はさらに外交があるので外務省高官もやったことになる。報酬は超高給。…しかし、激務で在任中の死亡も少なくなかったとか。

←奉行所の正門

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2007.03.15

長崎--寺町

長崎は平地が少ない。
県庁所在地で平らなとこがこんなに少ない市はほかにないんじゃないか(地元の人が「すり鉢の底みたい」と言っていた)。

Nagasaki203_1中島川から一段高い所、山の斜面にお寺がキチキチと並んでいる。こういう所でお寺の敷地を確保するのも大変ですなー。

写真は興福寺のひとつ隣の三宝寺。
石段をだいぶ昇ってきたのに、境内に車が止まっている。

一体どこから上がってきたのだろう?

と思ったら、迂回の車道がお寺の脇から出ているのが見えた。高齢者や身体にハンディのある人が参詣できるように、近年作ったのかなと思う。

ほかにこんなお寺もあり。↓

Nagasaki226_1クネクネとうねった手すり。「クネット」ではありませんか(^^)
クネットは身体を支えやすいように波形にしたアイディア手すり(クネット・ジャパンのサイト)。

高齢化社会の折、お寺さんもいろいろと気遣いをしているようだ。

※長崎のお寺が高い場所にかたまっているのは、幕府の禁教政策の関係もあるらしい。

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2007.03.13

長崎--興福寺に行く道

興福寺前の「寺町通り」。
こんな小さな仏様が(^^)

Nagasaki206_1

向かいには石材屋さんがあって、真新しい石仏も並んでいた。

興福寺入口のお地蔵さん。
Kofukuji201_1

お地蔵さんに赤い腹掛けをするのは、いつ頃からなんだろう。

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2007.03.11

長崎--ランタンフェスティバル・興福寺(4)

Kofukuji222_4三江会所門(さんこうかいしょもん)から鐘鼓楼(しょうころう)を見る。

「三江」とは揚子江下流の江南、浙江、江西のことをいう。
興福寺は三江出身者の菩提寺となっており、唐人屋敷から祀りに来ていたらしい。
明治になって唐人屋敷が解体されたため、興福寺にお堂を建造、さらに会所を作って社交場とした。厨房もあって賑わったそうである。
ところが原爆で会所は大破し、門だけが残されたとか。
(爆心地からはだいぶ離れているのだけれど…。原爆の凄まじさを改めて感じてしまう)

この門も赤く塗られていて、触ると色が付いちゃいますよ、と注意書きがしてあった。

鐘鼓楼には昔立派な梵鐘があったが、戦時の金属供出で差し出したため、今は梵鐘無しなのだそうだ。ただでさえ「中国の寺」は肩身が狭かったと思う。その頃は檀家は日本人だけになっていたらしいが。


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2007.03.10

長崎--ランタンフェスティバル・興福寺(3)

唐寺は赤い色が特徴で、「赤寺」と呼ばれているそうな。

Kofukuji214_1本堂(大雄宝殿)の中。
三尊像があるのは日本の寺と同じなのだが、床が板張りでなく石が敷いてあり、赤色いっぱいなので、仏様まわりの雰囲気がやはり違うなーと。

中央に大きな燈籠が懸かっている。
周囲はガラスでできていて、その名も「瑠璃燈」。
清朝時代に上海から運ばれ、本堂内で組み立てられたという。
清朝といえば、精密で凝った工芸品が盛んに作られた時代だ。
この瑠璃燈も清朝終わり頃の豊かな文化のたまものだけれど、ほどなくして(同時期?)清はイギリスにアヘン持ち込まれるし、欧米列強によってボロボロにされていく。工芸品や金魚を愛でた平和な(著しく不自由ではあっても)社会だったのにねえ。

Kofukuji213
本堂への光の差し込み具合が良かったので撮影。
窓の細かい木組みが光を和らげている。


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2007.03.06

長崎--ランタンフェスティバル・興福寺(2)

Kofukuji218■中国の女神様
興福寺には媽祖(まそ)が祀られている。
媽祖は中国の菩薩、つまり女神様。そして航海の守り神でもあるという。

宋の時代に福建省で起こった土俗的信仰が徐々に広がり、明代には中国から長崎に来る船には必ず媽祖が祀られていたとか。
船が停泊している間、媽祖は上陸して唐寺に安置された。
ランタンフェスティバルでも、媽祖をお迎えする行列、お送りする行列が行われる。

写真:奥にましましているのが媽祖。前にいる像は日本の仁王様に似ているが、船の行く手を監視しているようにも見える。

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2007.03.05

長崎--ランタンフェスティバル・興福寺(1)

Kofukuji216_1興福寺は崇福寺と並ぶ長崎の唐寺。
黄檗宗の最も古い寺だそうだ(黄檗宗は禅宗の一宗で、明の僧・隠元を招いて江戸初期に日本に広まった)。

ヒョウタン型のカラフルなランタンも見える。
境内では休日にイベント(媽祖(まそ)行列や龍(じゃ)踊り)が行われるのだけれど、訪れたのは平日だったため残念ながらそれはナシ。

Kofukuji208
足元を照らすライトがお洒落。
描かれているのはお寺の紋章?

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2007.03.01

長崎--ランタンフェスティバル・中島川の生き物たち

中島川の住民・鯉。
ある地点から、「どこにこんなにいたんだ?」と思うほどいっぱい出てきた。
黄色の鯉には黄金色に輝いているのもある。まさに「錦鯉」。

Nakasima93
エサに群がる鯉。
岸辺の鳩がうらやましげに見ている。

Nakasima196
石段で休む雀たちが可愛らしい。
ずいぶんふっくらしている。
食べ物豊富なの?

Nakasima89
これはつくりもの。
河畔には鯉と金魚のランタンが並んでいた。
魚の顔はひょうきんで心がなごむ。
鳥の顔はアップで見ると怖いけど。

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