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2007年4月

2007.04.29

地図フェチの水鳥寿思さん

私と同じ趣味の人がいた。それも珍しくスポーツ選手。
体操の水鳥寿思さん…

NHKのトーク番組「トップランナー」に出演、「好きなもの」としてやおら取り出したのが「地図」!
司会の山本太郎さんと本上まなみさんは「え〜、そんなのが好きなの?」てな顔をしている。

○○通りから東京タワーがすごく良く見えて、さっそく地図で確かめたそうだ。地図上でもその場所は東京タワーまですっきりと、障害物がないのだと。
当たり前っちゃあ当たり前なんだけど、地図を見て感じ入ってしまうところが地図フェチなんだよね。

人の見る風景はおおむね「地」に対して水平方向。その「見た感じ」を、真上から垂直に見た地図上で「本当にココはコウなんだ」と納得できる喜び。
また、ときには歴史の痕跡を見つけることができるのも、地図ウォッチングの楽しみだ。
あやしい曲線の細い道路、既存道路と宅地等に挟まれた細長くあやしい曲線状の空間。---それらはたいてい鉄道廃線跡である。なんとなく現地を通っていると気づかないが、地図をまじまじと見ると、ひとつながりの曲線が現れ、かつての路線がよみがえってくる。

水鳥さんが廃線マニアであるかどうかはわからないが、地図にある不自然な(現行の道路体系とマッチしていない)曲線が廃線跡だと知ったら、きっと感激するだろう(と勝手に想像)。

私は男子体操は冨田洋之選手のファンなのだが、地図好きのよしみで、水鳥選手も応援しようと思った。

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2007.04.23

博多の旧町名--なぜ蔵本になっちゃったんだろう

博多の古地図を見ていて、解せないことがある。

Hakata65それは、ココ。
←博多のど真ん中に「蔵本」という交差点があるのだけど、古い地図を見ると、ここは蔵本じゃないじゃないのー。

Kuramotomap_1左の地図は昭和36年の福岡市街地図((株)塔文社発行)。
赤いマルの中が今の蔵本交差点になる。「文 奈良屋小学校」は今の博多小学校だ。

交差点の場所、どう見ても、「上市小路(かみいちしょうじ)」ですよ?
蔵本は少し左の小さな一角の町名になっている。

なんでこの「蔵本」が上市小路の交差点名になっちゃったんだろう?
交差点から離れてるし。より近くに他の町名があったりするし。

*  *  *

蔵本は江戸時代には「蔵本番(くらもとばん)」と言った。
博多の収納蔵があって、番人がいたそうである。他にも「奈良屋番」「釜屋番」など、番のつく町があった。
明治7年に「番」を町に改名し、蔵本町、奈良屋町などと称した。
(「古地図の中の福岡・博多」(海鳥社:刊)P72参照)

その状態が昭和41年まで続く。だから、上の地図は江戸時代の町境と町名をほぼ踏襲している(町が細かいことこの上ない。道路は新しくできたのもあるが)。

で、昭和41年の「町界町名変更」で町境と町名が大幅に整理されたわけだが…

そのときに「市小路」の名が消えて、「蔵本」交差点になっちゃったのだろうか?
もったいないなー。
「市小路」は、太閤町割、つまり博多の町の基盤ができたときに最初に付いた通り名だというのに。

蔵本が市小路の交差点名になるのは、太閤町割以来の町の区切りである「流(ながれ)」にも反している。
蔵本(蔵本番)は西町流(=南北の通り:上の地図ではタテ方向)に属し、市小路は呉服町流(西町流れの東隣りのタテ方向。今の大博通り)に属していた。
流が違うではありませんか。

どーも解せない。蔵本を交差点名にする特別な理由でもあったのかしらん?

*  *  *

今、蔵本町も市小路町も町名としては残っていない。
町名復活(長崎市や金沢市のような)は難しいとしても、せめて交差点名・通りの通称として、本来の場所に旧町名を復活させることはできないものか。
「市小路交差点」とか「市小路通り」とか。
ダメですかねえ…。
(「ふれ愛通り」みたいなつまんない通称は地域活性化とか言ってついてる気がするけど、こりゃ私のひが目ってやつ?)

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2007.04.22

平戸の写真を追加--教会の続き

マイフォト・九州たび旅(平戸)に写真を追加しました。
この時は平戸・教会めぐりだったのでまた教会の写真です。

Hirado592_1正面は煉瓦造りだけれど後ろは木造の平屋、と、つくりが変わっている。
木造のほうはベランダ付きの洋風建築。長崎市の洋館によく似ていた。

ここも紐差(ひもさし)教会から分離したのだという。
海のそばの丘の上にあるので眺めがとても良い。

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2007.04.20

柳川--雛祭り(2)

町じゅうに「さげもん」が飾られる柳川の雛祭り。
Yanagawa66
うなぎ屋さんの店先

Yanagawa68
「御花」の殿の倉 横の堀割
雛祭り期間中はお雛様が出ている

Yanagawa125
川下りコース沿い

写真は3月末の撮影。
これから初夏にかけても、堀割(川下り)周辺の花が綺麗。
観光・散策おすすめです。
GW中の5月3日〜5日は沖端水天宮祭あり。

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平戸の小さな教会--写真を追加

マイフォト・九州たび旅(平戸)に写真を追加しました。

Hirado586木ヶ津(きがつ)教会。
海岸から山のほうに入って細い道を行くと、村の集会所のような素朴な教会が。
明治時代に開拓で移住してきた人たちが信者だとか。
もとは紐差教会に所属して通っていたが、昭和37年にこの地区に教会を建設したとのこと。
紐差教会へは約4kmだそうで、当時はみな歩いて行ったのですね。

木ヶ津教会の参考サイト

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2007.04.16

平戸の写真を追加

マイフォト・九州たび旅(平戸)に写真を追加しました。

紐差(ひもさし)教会のモダンなステンドグラスが良いです。
↓こういうのとか
Hirado583

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2007.04.15

昔、動物園があったゾウ--東区馬出

Doubutu28東区、馬出(まいだし)に残る、ゾウの頭が向かい合うゲート。
向こうの建物は小学校だが、小学生のためにお茶目な門をつくった…のでなく、昔(敗戦前)動物園があった名残なのだ。

昭和3(1928)年に天皇即位を記念して福岡市に動物園をつくろうと発議、5年の月日をかけて福岡市動植物園が開園した。当時東公園だったこの場所が選ばれ、ライオン、トラ、珍しい鳥や植物を集めて人気だったらしい。

しかし、約10年で閉園となる。理由はやはり「戦争」。
昭和19年5月、動物の餌代確保が難しくなり、閉園した。翌6月には大型獣(ライオン、トラ、カバ等)を処分。※ゾウはいなかったのかな。

戦後、動物園復活を願う声が上がり、新たな動物園はここでなく中央区の市街地南の丘につくられることになった。現在の南公園である。

Doubutu31旧動物園の跡地には新制の福岡中学校が建設され、「ゾウの門」は中学校の正門として使われたそうだ。
福岡中学校のサイト(沿革史)に当時の写真が掲載されている。

その後福岡中は移転、すぐそばにあった馬出小学校がこっちに引っ越してきた。ゾウの門が正門でないのがちょっと残念(笑)

たった10年ちょっとの間の動物園。つくった時代が悪かったかな。戦局悪化で閉園なんて、開園時には思ってもみなかったろう。

なお、今の福岡市動植物園の最寄り駅、地下鉄七隈線「薬院大通り」駅のシンボルマークもゾウさん。日本人は動物園っていえばゾウなんだねえ。
Mark

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2007.04.11

東京オリンピック招致に反対--住民の声は聞かないの?

石原慎太郎氏、知事選「当確」直後のインタビューでオリンピック招致の話を聞かれ、なんだかキレてたんだけど。(以下、記憶により再現)

記者:世論調査では7割の人が「見直しが必要」と言っていますが…。
石原:見直しって、具体的に何を見直すの? 具体的に言ってくれよ。それを調べるのがメディアだろ? あんたたちの仕事じゃないか。
記者:招致問題で都民の意向を調べるご予定は?
石原:ありません。

はぁぁ…orz

選挙中、「説明が足りなかった。反省してる」と言っていたのが、当確出たらもうこれですか。

首長が大きな事業を提案するならば、住民の声を聞くのは首長(行政)の責任であり仕事である。メディアがやれ、オレは知らんよ、って、なんて無責任な。
(それでメディアが「反対、批判が多い」と調査結果を伝えたら「メディアがバッシングしてる」とか言ってまたキレるのかな)

福岡市の前市長も市民の意見を聞かずに招致を進めた。結果、選挙で落選のしっぺ返しを受けた。
オリンピック招致でマトモな対応をしたのは札幌市だと思う。
財政状況を説明し、市民に賛否を問い、反対が僅差で多かったことから候補を降りた。
これくらいするのが当然だと思うけどな。

知事選で石原氏が当選したからオリンピック招致も都民の賛同を得た。
なんて思ってはいけませんよ。
招致だけを問うた選挙じゃないし。

オリンピック招致の賛否、ちゃんと都民の声を聞くべきだ。
「国がたくさん金を出す」と言っているくらいだから都民以外の人の意見も聞いてほしいけど。

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2007.04.10

東京オリンピック招致に反対

東京都知事選で石原慎太郎氏が当選した。氏は東京オリンピック招致を掲げている。
そこで、オリンピックネタを久しぶりに書いてみる。

あらためて、東京オリンピック招致に反対!

福岡五輪開催の意義を見いだせなかったけれども、そこは東京も同じ。
開催できる財政力はあるものの(福岡はそもそも財政が力不足)、可能だからやれば良い、というほど軽い負担ではない。

「出費は多いけれど、それ以上の見返り、経済効果がある」
という見方があるが、ほんとかなあ?

そんなに経済効果があるなら、全額、東京都負担でやれば?
なんで「国の税金投入」を前提にしているの?(石原氏は「東京はそれほど金を出さない。国が出すんだ」と言っていた)

それとも、国の負担分をあとで返してくれるの?
東京オリンピックでちっとも経済効果がない地方(首都圏を除く大部分の日本列島)の住民・企業だって国税負担してるんだけど。儲かるなら返してほしいよね。

「オリンピックやると経済効果がある」と言う人は、「国は金出さない」、または「国が金を出すのでなく貸し付けて、利息と配当つけて返還させる」、どちらかを主張したらいい。いっそ完全民営化にするとわかりやすいかと。

でもそんな主張、とんと聞かない…。

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2007.04.03

漢委奴国王の読み方

←この(ヘッダの下の)金印の文字「漢委奴国王」は、「漢倭奴国王」(カンのワのナのこくおう)と読むのが定説になっているが。

うーん。納得がいかない。 と言っている歴史オタクな人がちらほら。

当時(紀元57年頃)の倭国は漢からすれば東夷の小国。その中のさらに小さな「奴国」を国王認定して金印下賜…はどうも理屈に合わないではないかと。

今で言えば、米国大統領が福岡県知事に「あんたが首相!」と言うようなものかと。
高校野球福岡県大会優勝校に高野連会長が深紅の優勝旗を渡して「全国制覇おめでとう」と言うようなものかと(ちょっと強引なたとえですが)。

Kininkoen83魏志倭人伝に出てくる「奴国」は博多近辺であろうし、博多には「な」のつく地名が多いし(那の津、儺縣〈なのあがた〉、那珂川)、そうした事情から、博多近くの志賀島出土の金印が「奴国」と結びつけられたのだけれど。

…しかし、委も倭も奴もしょせん外国語の記述なんだから、「奴国」として読む必然性はさほど高くないのじゃない?
当時の中国と周辺部族の関係から考えれば、「漢ノ委奴ノ国王」とするほうが理にかなっている。

別の読み方を唱える研究者は結構いる。「委奴」の読み方候補は
ゐと、ゐど、ゐぬ、ゐな、わな、わいぬ…(まだある?)
※「ゐ」はWiに近い発音。古代語では「い」と「ゐ」、「え」と「ゑ」は区別された。

近くに出現した伊都国(魏志倭人伝に記述。今の前原市)じゃないかという説もあるが、伊都は「ゐと」とは読まないと指摘されている。

読み方の決定的証拠はないし今後も出てこないと思うけれど、「倭国の中の一国に金印を与えた」という考え方は修正したほうがいいのではないだろうか。
委奴=当時の倭の最強の親分 であり、「奴国の親分」ではないだろうと思う。

写真は志賀島の金印公園。金印が実際にどこから出てきたか詳しくはわかっていない。

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2007.04.02

吉塚公園の桜

Sakura75吉塚公園の桜が満開。
…が、夜には雨が降り出したし風も強いから、だいぶ散ってしまうかな。
今年の桜は、暖冬のち寒気の妙な気候で、咲き方にバラつきがあるとか。
いっぺんに咲かずに時間差開花。見るほうにはそれも良いか。

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デザイン模様替え

新年度なのでブログのデザインを少々変えた。
ヘッダに背景画像は使えないかと思っていたら、ちゃんと使えた(^^)
(あら、いつのまに…。当初からそんなオプションあったっけか)

ヘッダに使った写真は、昨年の今頃、宗像市・さつき松原の海岸で撮った。

左の島影が勝島と神湊(こうのみなと)、右が地島(じのしま)。
博多じゃないんだけど、玄界灘つながりということでご勘弁。

ヘッダ下は「漢委奴国王」金印スタンプのお手紙ふうに。
建武中元二年(A.D.57)の年号は入ってませんが。

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