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2007.04.03

漢委奴国王の読み方

←この(ヘッダの下の)金印の文字「漢委奴国王」は、「漢倭奴国王」(カンのワのナのこくおう)と読むのが定説になっているが。

うーん。納得がいかない。 と言っている歴史オタクな人がちらほら。

当時(紀元57年頃)の倭国は漢からすれば東夷の小国。その中のさらに小さな「奴国」を国王認定して金印下賜…はどうも理屈に合わないではないかと。

今で言えば、米国大統領が福岡県知事に「あんたが首相!」と言うようなものかと。
高校野球福岡県大会優勝校に高野連会長が深紅の優勝旗を渡して「全国制覇おめでとう」と言うようなものかと(ちょっと強引なたとえですが)。

Kininkoen83魏志倭人伝に出てくる「奴国」は博多近辺であろうし、博多には「な」のつく地名が多いし(那の津、儺縣〈なのあがた〉、那珂川)、そうした事情から、博多近くの志賀島出土の金印が「奴国」と結びつけられたのだけれど。

…しかし、委も倭も奴もしょせん外国語の記述なんだから、「奴国」として読む必然性はさほど高くないのじゃない?
当時の中国と周辺部族の関係から考えれば、「漢ノ委奴ノ国王」とするほうが理にかなっている。

別の読み方を唱える研究者は結構いる。「委奴」の読み方候補は
ゐと、ゐど、ゐぬ、ゐな、わな、わいぬ…(まだある?)
※「ゐ」はWiに近い発音。古代語では「い」と「ゐ」、「え」と「ゑ」は区別された。

近くに出現した伊都国(魏志倭人伝に記述。今の前原市)じゃないかという説もあるが、伊都は「ゐと」とは読まないと指摘されている。

読み方の決定的証拠はないし今後も出てこないと思うけれど、「倭国の中の一国に金印を与えた」という考え方は修正したほうがいいのではないだろうか。
委奴=当時の倭の最強の親分 であり、「奴国の親分」ではないだろうと思う。

写真は志賀島の金印公園。金印が実際にどこから出てきたか詳しくはわかっていない。

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コメント

漢が委任した奴国の国王でしょう。。。

投稿: | 2008.04.22 18時51分

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