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2007年5月

2007.05.30

柳川の写真を追加--御花・西洋館など

Yanagawa87_100マイフォト・九州たび旅(柳川)に写真を追加しました。
御花の西洋館。明治時代にできた「柳川版鹿鳴館」です。

一昨年の福岡西方沖地震は、御花もだいぶ被害があったそうです。
TVのニュースではちょうど雛祭り水上パレードの最中にグラグラっと揺れた映像がありました。
先頃、西洋館などの補修が終わりました。柳川も大きな地震の無い土地なので、創建以来の災難だったかもしれません。

補修の際に、建築当時の姿に戻す工事も行われたとか。私は地震前の御花を何回も見ていたけれど、どこがどう変わったかはわかりません。

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2007.05.25

弥生時代はどのように生まれたのか

5月24日・朝日新聞朝刊(西部本社版)の記事。

「弥生文化の起源に新説」

によれば、

弥生時代早期の九州北部の土器には、東北の縄文土器を受け継ぐ特徴がある。

のだそうだ。
一方、同じ九州北部の縄文晩期の土器、朝鮮半島の土器に、その特徴は見あたらない。中国にも似たものがない。

このことから、九州北部の弥生文化は、朝鮮半島や中国からだけでなく、東北の縄文文化からも影響を受けて形成されたのではないかと。

この説を発表したのは、国立歴史民俗博物館の「年代研究プロジェクト」のメンバー、設楽博己教授(駒沢大)と小林青樹準教授(国学院栃木短大)。
同プロジェクトは、放射性炭素の年代調査で「弥生時代は紀元前10世紀頃から始まった」との説も出している。

弥生時代、ますます面白くなってきた。

三内丸山遺跡の発掘研究から、すでに縄文時代に広範囲な交易があったことが確認されている。糸魚川(新潟県)や讃岐の特産物が青森の三内丸山から出土したとか。
であれば、縄文時代晩期には東北から九州まで人や物の行き来があったとしてもおかしくない。

…にしても、その時代の人、よくそんな遠くまで行ったもんだなと。
そもそも「行こう」という気になったもんだと。

小林準教授は言う。

違う文化を持った大陸の人たちが九州に来たということが何らかの形で伝わり、東北から人々が出かけたのだろう。

って、ずいぶんあっさりとした解説(笑)。

近現代のように、通信・交通手段があったわけでなし。
人口密度は著しく低いし。
(縄文時代は日本列島全体で10万人くらいの人口レベルだったそうだ。東京ドームと甲子園球場が満杯になった合計人数が列島全体に散在していたことになる)

今とは時間・距離のスケール感がまったく違う時代。
九州の情報がどのように東北まで伝わったのだろうか。
最も近い集落(部族)だって相当に距離があったろうに。集落同士の関係も良好かどうかわからない。

なにぶん文字記録がないので出土品と遺跡から推定するしかないのだが、縄文・弥生時代の人たちの情報伝播、情報処理はどうなってたんだろうなと、そんなことが気になるのだ。

Itazuke323_2(写真は福岡市博多区の板付遺跡。弥生時代の竪穴住居の復元。ただし、この遺跡から住居跡は発掘されていない。弥生時代の他の遺跡を参考に復元したという。今年は板付遺跡に行っていないので、去年の撮影です)

*  *  *

国立歴史民俗博物館、7月から弥生時代の年代研究(「弥生はいつから!?−年代研究の最前線−」)展示・講演会をやるようだ。近くだったら行きたいのだけどねー。

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2007.05.22

柳川の写真を追加--御花

Yanagawa80_1マイフォト・九州たび旅(柳川)に写真を追加しました。
御花(おはな)とさげもんの写真です。
御花は旧柳川藩主の別邸の名称。古い地図では「お花畠」とあるので、花畑だったところに別邸をつくったのかもしれません。

御花は日本庭園の松濤園と本館、西洋館、史料館があります。

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2007.05.21

博多東急イン--最後の夜

Tokyu76ホテル・博多東急インが5月16日で営業終了した。
その最後の夜の写真。

那珂川沿いの天神側に建ち、川を渡れば中洲というロケーション。
外壁のライティングがかっこいい。

あらためて眺めると、隣に赤煉瓦文化館があったんだなと今さら気づく。

赤煉瓦文化館は明治時代の煉瓦造りの建物で、福岡に残る数少ない「昔の洋館」である。東京駅と設計者が同じで、様式も同じだとか。
明治末・大正の頃は威容を誇った建築物も、戦後のビル・ホテルに並ぶととっても可愛らしい。

博多東急インが開業したのは昭和44年で、偶然だがその年に赤煉瓦文化館が国の重要文化財に指定され、福岡市に譲渡されたそうだ(それまでは生命保険会社の所有)。
40年近く続いたお隣さん。なお、東急イン終業後、ホテル自体はなくならず、西鉄ホテルになると聞いた。

Tokyu74赤煉瓦文化館もライトアップされている。
福岡市文学館として公開されており、喫茶室もある。

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2007.05.19

柳川の写真を追加

マイフォト・九州たび旅(柳川)に写真を追加しました。
Yanagawa65

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2007.05.16

博多港のドゥロス号

Doulos57現役では世界最古の客船・ドゥロス号(Doulos)が博多港に停泊中。

建造はなんと1914年だという。
(第一次世界大戦の頃ですね…)
タイタニック号の2年後輩だとか。
碇も年季が入っている。

Doulos59

Doulos60船内は書店になっていて、たくさんの絵本や洋書が並んでいる。
料理の本が綺麗だったけど、英文のレシピでは実用的にちょっと…なので、代わりに懐かしいディズニーアニメ本“Sleeping Beauty”(邦題:眠れる森の美女)を買った。

ドゥロス号は「書店の船」として世界を回り、本は60万冊あるという。
もともとは貨物船として造られたドゥロス号、その後移民船や高給客船に変わり、古くなって廃棄されようとしていたのをドイツの慈善団体が購入して「洋上書店」に生まれ変わった。船で働くスタッフはみなボランティアだとのこと。若いスタッフたちが「Hellow」「コンニチハ」と声をかけてくれた。

Doulos64_1“GBA”と書かれている。GBAは Gute Bucher fur Alle(ドイツ語:英語ではGood Books for All)の頭文字。

乗船は無料で、次の土曜・日曜の夜にはカフェの利用もできるらしい。
博多には21日まで。24日から6月5日まで金沢港、6月7日から18日まで新潟港に泊まる予定。

Doulos66船上からの博多港の眺め。
左のほうの塔はポートタワー。

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2007.05.15

香椎宮--若葉の頃

新緑の季節の神社もなかなか良いなあと思う。

Kasii92

本殿。訪れる人も少なく。
Kasii102_1

Kasii100_1昭和4年に奉納された絵。
官弊大社だった割には素朴な風情だ。
鳥居は木製だし。
今とは様子が全然違い、どのあたりを描いたのか皆目わからない。

昭和4年に何かあったのかな…。昭和天皇の大嘗祭(即位の礼)が昭和3年秋にあったということなので、それを記念した奉納だったのかなと思う。

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2007.05.14

糸田--光の山笠

糸田町(福岡県田川郡)の糸田祇園山笠を見に行った。
昨日のTVニュースで映像が流れていて「わ、これキレイ!」と…(私ゃ山笠の追っかけか?)

Itoda30夕暮れの午後7時頃、各町の山笠が広場に入るところだった。

糸田の山笠は曳くのでなく文字通り「担ぐ」。だから博多みたく走ることはない。
かけ声もオッショイやオイッサでなくエンヤー、ヤッサと歩きのリズムだ。
息を合わせて担ぎ歩くさまは、神事らしい厳かさがあった。
(がんがん走る博多山笠もいいんだけど)

厳かだと感じるもう一つの理由は担ぎ方にある気がする。
普通、御輿を担ぐとき、担ぎ手は内側の肩で担ぎ、棒の外に顔を出している。ところが糸田の人たちは外側の肩で担ぐので、横から担ぎ手の顔が見えない。
「神様をお運びするのだから、担ぐ者は顔を見せずにひたすら歩を進めるのだ」とでも言いたげに。
…本当のところは、山の重さ(約2トンあるそうです)とかバランスとか担ぎ手の気の合わせ方---左右の担ぎ手は内側で腕を組んでいる---とかで編み出した担ぎ方なのだと思うけれど、他の山笠や御輿とは違う雰囲気があるなあと思ったのだった。

担いでる間、左右の担ぎ手ペアが場所を交代することがある。なんでかな、と思ったら、やはり右肩と左肩の負荷分散のためのようだ。それだけ重いということでしょう。

Itoda33飾られる人形(博多でいうところの標題)は源平合戦、戦国時代がほとんど。
今年の大河ドラマ・風林火山の山本勘助もあるが、顔は紅顔の美少年だ。
土台になるお城は派手に飾りつけると中国テイスト(竜宮城ふう)になるところが面白い。

Itoda495_1暗くなって山笠に灯がともった。
昨日は雨で山笠の出が少なかったそうだけど、今日は天気がよく、たくさん見ることができてよかった。

目の前で山笠同士が「あわや、衝突!」かというほど接近してびっくり。これは競り合いといって、糸田山笠の特色なのだそうだ。

Itoda40_1←電飾盛り沢山の山は担ぐのでなく、台車で移動。
シーソーのように左右に揺れて、乗っている子どもや若い衆が大喜び(^^)

鉦(かね)・太鼓のお囃子も賑やかで、本家・祇園祭(京都)の流れを受け継いでいるのかなと思った。

(附記)この近くの糸田小学校は井上陽水の出身校だそうだ。「陽水の歌碑」もあるらしい。見に行かなかったけど。

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2007.05.13

カメがいる--香椎宮

Kasiikame16日だまりの中、甲羅干しするカメさんたち。
香椎宮・境内の池。

こんなにカメがいたとはね〜。
一瞬、つくりものかと思った(じっと動かないんだもの)。よく見ると首や足をにょろっと伸ばしていた。

香椎宮とカメの関係は?
竹内宿禰(香椎宮の祭神、神功皇后・応神天皇に使えた大臣)の長寿にちなんでのことだろうか。300歳まで生きたという伝説があって、この池の近くに「不老水」があるので。

Kasiikame14池のアヤメ(菖蒲?かきつばた?)。
アヤメと菖蒲とかきつばたの区別がつかない。

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2007.05.12

柳川の写真をアップしました

Yanagawa34マイフォトに九州たび旅(柳川)--川下り--をアップしました。
柳川の城下町をドンコ船で小1時間かけてまわりました。

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2007.05.11

Nanの木の可憐な花

Nannoki90_1香椎の珈琲屋さん「Nanの木」、いつもテーブルに小さな花が置かれている。
この日はカスミソウのアレンジ。
カスミソウっていいですね。

 

Flower4こちらは娘から贈られたカーネーション。
私もいちおう母なので。
殺風景な私の部屋も明るくなったわ。

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2007.05.07

古地図を眺めながら蕎麦を食べる

長浜1丁目の蕎麦屋さん「生粉蕎麦(きこそば) 玄」には、蕎麦と同じくらいオイシイものが--。

江戸時代の福岡・博多地図の大判が店内に飾ってあるのだ。
しかも、現代の地形図のアウトラインが重ねてあって、江戸時代と今との海岸線がすごく違うことが一目瞭然。江戸時代以来、町は埋め立てで大きく拡張されてきたのがわかる。

古地図はお馴染みの「文化9年 福岡城下町・博多・近隣古図」(海鳥社から本が出ている)。
この店がある場所も江戸時代は海の中。港もなくて、砂浜が続いていたらしい。だから「長浜」と言うのかもしれず。
なにしろ店より300mは内陸部にある少林寺、安国寺が、江戸時代地図では海の目の前なのだからして。
百何十年で、よくこれだけ埋めてきたものだ。

…と、地図をつらつら眺めながら蕎麦を食べた。
つなぎを使わない生粉(きこ)蕎麦、挽きたてだそうです。
おいしくて安い! 本日は「おろし蕎麦」390円也。

※古地図と現代を重ねたこの大判地図、ほしいな〜。今でも市販されているんだろうか。

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