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2007.07.24

博多小学校の脇--中世の名残

Hakatasyou349博多小学校の北側に、旧町名を刻んだ碑が建っている。
「奥小路(おくのしょうじ)」とある。

(博多の各所にこういう碑があるが、これは町界町名変更で消えてしまった町名を偲んで、やはり廃止された路面電車の敷石を使用して作ったものだ)

碑文;
旧奥小路
天正年間すでにこの町名あり 太閤博多町割以前の町

今の博多の基礎は豊臣秀吉の時代に作られた。それ以前の博多の町は戦乱で焼けてしまったのだが、いくつかの町名(通り名)が太閤町割で引き継がれたようだ。奥小路もその一つだろう。

「奥小路」の場所、現在では博多のほぼ真ん中に位置している。
しかし、戦国時代の博多を推定した地図を見ると、ここが海のすぐ近くになっている。
実際、博多小学校の敷地から石累が発掘されていて、元寇防塁じゃないかと言われているから、海岸だったのは間違いなかろう。中世には本当に「奥」の場所だったのだなー、と思う。

※中世の博多はヒョウタン型をしており、海に近いほうを「息浜(おきのはま)」と言った。この「おき」が「おく」に転訛したのかもしれないが。

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