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2007年8月

2007.08.29

月食

皆既月食のときは月がうっすら赤く。
(私のデジカメでは写りませんでした(^^;))

8時40分頃。
地球の影が徐々に減っていく。
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9時15分頃。
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月食前夜

27日黄昏どきの月。
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雲のかかり方が綺麗だった。
夕焼け空も真っ赤でしたよ。
福岡市東区で。

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2007.08.28

大浜流灌頂--今月今夜

大浜流灌頂の期間中、大博町(旧・大浜)界隈の家には花笠灯籠が飾られる。

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側面には必ず「今月今夜」の文字が。
(他の面の文字絵柄は多種多様)

なぜに、今月今夜なんだろう…。

有名な「金色夜叉」の一節。
裏切ったお宮を足蹴にした寛一。
「来年、再来年、十年後の今月今夜のこの月を、僕の涙で曇らせてみせる」

は、直接の関係は無いが。

旧暦で暮らしていた時代、「今月今夜」は常に月の満ち欠けが同じ日にあたるから、「毎年同じ日に供養いたします」という意味だろうか。

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大浜流灌頂--大博町

大浜流灌頂(おおはまながれかんじょう)に行った。

流灌頂」は博多に来て初めて知った。仏教の供養のひとつであるらしい。
水辺に塔婆や幟を立て、水死者等を供養するものだそうだ。

大浜の流灌頂の始まりは、江戸時代、1750年頃である。
水難や疫病で多くの人が亡くなり、当地(竪町浜:現在の大博町)の僧が供養したという。

今でも東長寺のお坊さんが来てお経をあげる。
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大浜流灌頂といえば、この武者絵。
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明治から昭和まで生きた博多の絵師・海老崎雪渓が描いた。
今年は雨がパラついたせいか、夕暮れには片づけられてしまった。
一昨年来た時は、中に明かりが灯されてたくさん掲げられていたんだけど。
夜の町にこのような絵が並んでいると迫力があって(かなりの凄絶シーンもあるし)面白かったのに。ちょっと残念。

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地元の人たちが露店を出して、町内会の小さな祭りの雰囲気。
戦前は山笠にも負けぬほど力を入れて、賑やかな祭りだったそうだ。
でも、こういう素朴なのもなかなか良いと思うよ。

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2007.08.27

川端・中洲--飢人地蔵(その4)

飢人地蔵夏祭り。
灯籠流しの後、花火が打ち上げられた。
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といっても尺玉みたいなのでなくて、小規模で可愛いの。
最後はナイヤガラ。川面に映ったのが綺麗だった。

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2007.08.26

川端・中洲--飢人地蔵(その3)

24日、飢人地蔵夏祭りの2日目(最終日)。
博多川に灯籠が流された。
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夜になってもひどく暑い。歩くだけで汗だくだったけど、川の上は少し涼しい風が吹いていた。

川は流れがほとんどなく、風で灯籠が川下から川上に動いていく。
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川べりの休憩所。カン、カンと鉦が鳴らされる。

このすぐ近くが中洲。週末で人通りも多い。
お店に向かう人がちょっと足を止めて灯籠流しを眺める。
中には手を合わせる人も。

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2007.08.24

川端・中洲--飢人地蔵(その2)

提灯の明かりが夜に浮かぶ、飢人地蔵のお堂。
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お堂は博多川の水車橋(みずぐるまはし)近くにある。
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中洲からこの橋を渡るとすぐ前に櫛田神社が見える。
江戸時代の地図にもあるくらい、古くからの橋だ。
福岡城下から櫛田神社にお参りするのに便利なようにつくったのかもしれない。

1800年頃まで、中洲は畠が広がる場所だったそうだ。
飢人地蔵を建てたのも、ここに死者を埋葬したからとのことで、土地が空いていたんだろうね。

中洲が今のような歓楽街になったのは、天保年間、福岡藩の改革により、茶屋・芝居小屋など遊興の場を作らせたのが始まりだという。江戸歌舞伎の市川団十郎もやってきて芝居を見せたとか(それで今でも博多川の船乗り込みを歌舞伎役者がやっている)。

ただ、藩政改革(財政再建)はうまくいかず、幕末維新で福岡藩は勝ち組になれなかった。しかし中洲は発展して九州一と言われる歓楽街になったのである。
その間も、食べるもの無く死んでしまった人たちを弔う飢人地蔵は、中洲の片隅にずっといる。

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川端--飢人地蔵

博多川のほとり、ビルに囲まれてひっそり建つ飢人地蔵(うえにんじぞう)のお堂。
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江戸時代、享保17年(1732年)の大飢饉で、博多の人口2万人のうち3分の1の人が飢えで亡くなったという。
この人々を弔い、飢人地蔵が建てられた。市内各所にあるそうだが、川端では毎年8月23日・24日に飢人地蔵夏祭りを行い、供養をしている。

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大きくて長い博多提灯。こういう盆提灯は他所であまり見ない気がする。

休憩所では「あめ湯」が振る舞われていた。
24日には博多川に灯籠を流す。

日本の夏は、死者の慰霊がことのほか多い。
当ブログも8月のエントリは墓とか供養の話ばかりになってしまった(-_-)

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2007.08.19

かぶりもの劇団は真夏も元気

今や福岡名物になりつつある(?)かぶりもの劇団「ギンギラ太陽's」。
12日から16日まで、キャナルシティ博多で特別公演をやってくれた。

「ギンギラ」の舞台に登場するのは、地元お馴染みのデパート、スーパー、施設、バス、電車、お菓子、等々。俳優陣はこれらのキャラクタのかぶりものを着けている。劇中に「人物」はひとりも出てこないのだ。

福岡・博多で繰り広げられる流通戦争や業界の抗争を、かぶりものキャラたちが熱演する。

西鉄バス軍団がのし歩く。おっかないよ〜(前列で見ていたお子さん、大泣き)
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キャナルシティ(左)とグルメシティ(旧・ダイエー)。
経営が傾いたダイエーの悲哀がにじむ。
昔はキャナルにダイエーが入っていたんだものね。
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天神で勢いを増す大丸、エルガーラ母娘の華麗な舞い。
向こうにいるのは三越。
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「九州新幹線博多開業で博多復興よっっ!」
赤いドレスで気勢をあげる博多駅。
その隣りに今は亡き玉屋の姐さんが…(お盆で帰ってきたか)。
左から川端商店街(川端ぜんざい)、博多駅、ゲイツ、玉屋。
博多商業地区の揃い踏み。かつての博多の賑わいを再び!
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オーラス。
天神と博多のデパートたちが手を取り合い、福博を盛り上げようと誓う。
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かぶりもののデザイン・製作は、劇団主宰の大塚ムネトさん(上写真:川端ぜんざいの人)が行っているそうだ(脚本も大塚さん)。

この人たちは本当に福岡・博多の町が好きなんだなーと思う。
地元の人でないとわからない(かもしれない)ギャグもあるけど、お店や施設や業界の興亡・栄光・苦渋の歴史をかいまみてホロッとさせられるのですよ。

ギンギラ太陽'sの公式サイト

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2007.08.18

精霊流し--箱崎浜

長崎ほど派手でないが、福岡・箱崎でもお盆に船が精霊を海に運ぶ。

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東区・大光寺で。
初盆を迎えた家の提灯が並んでいる。

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「西方丸」と書いた船。お供え物をいろいろ積んでいるようだ。
僧侶の読経を終えたら、船を箱崎浜まで運んでいく。
この船は大きいので、リヤカーに乗せて引いていった。

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箱崎浜に到着。
あちこちから船を持った人たちが集まっていた。
小さな漁船(?)が船と見送りの人を乗せ、沖に出て行っては帰ってくる。

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昔は人力で沖まで出たそうだけど、これだけ埋め立てが進んだ今ではエンジン付きでないと…。情緒には欠けるが仕方ないか。(海にイロイロ投棄しちゃっていいのかい? てのも気にはなる)

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2007.08.16

黒田家の墓(その2)--崇福寺・東長寺

Sofukuji_kuroda56黒田家墓所の配置図(写真左)に見るように、福岡藩主の墓所は3箇所に分かれている。

藩祖・如水、初代・長政…崇福寺
四代〜七代、九代、十代…崇福寺
二代・忠之、三代・光之、八代・治高…東長寺
十一代〜十四代…東京青山墓所

東長寺は博多・祇園にあるお寺。崇福寺と東長寺が黒田家の菩提寺だった。

※東京青山墓所に眠る十一代〜十四代は、明治維新後に亡くなった当主たち。
 維新の後、旧藩主一家は東京に移っていった。

菩提寺が2つあるといえば、徳川将軍家もそうかな。寛永寺と増上寺。
大名家の菩提寺ともなれば、ハクがつくし収入も相当のものだから、お寺同士のせめぎ合いとか裏事情もいろいろあったのかなあと思う。

「武士の家計簿」(磯田道史・著 新潮新書)によれば、江戸時代の武家は「身分費用」の額が非常に多かったらしい。身分費用とは身分を維持するための支出で、ご先祖を祭祀するお寺へも相当のお金を出していたとか。全国の城下町にお寺が多いのは、大名や武士がせっせと献金して支えていたからなんだろうねえ。

82こちらは二代・忠之の墓(東長寺)。
戦国時代に焼失した東長寺を忠之が再建した。

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2007.08.11

黒田家の墓--崇福寺(博多)

これは福岡藩主・黒田家の方々のお墓。
博多区千代の崇福寺境内にある。
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真ん中が藩祖・黒田如水(孝高)の墓。その左が初代藩主・長政。
右端の丸い石が乗っているのは奥方(如水の妻、長政の母)。

これだけだと大きさがわからないのだが、人の大きさと比べると…
Sofukuji_kuroda75

こんなにデカイ。さすがに藩主のお墓だけのことはありますね。

8月4日、黒田長政命日法要にて。写真はShigeさん撮影。

長政の命日法要は、いつもは藩士のご子孫らの会の会員だけがおこなっている。今年は福岡城築城400年ということで、特別に一般人も参加できたそうだ。
(なので、この墓所も普段は関係者以外立ち入りできない)

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2007.08.04

流星舎サイトをリニューアル

流星舎(Web・Flash・アイコン)サイトをリニューアルしました。

数学Flashのページでは、高校数学をちょっと思い出してみてください。

フツーのFlashも作っております。

アイコンはこんなの↓
Build

とか

Baby_all

とか…

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