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2007.10.18

武士って何だろう--会津戦争・松平容保

NHK「その時歴史が動いた〜会津戦争・松平容保の悲劇」を見た。

私の松平容保の評価は高くない。
負け戦で数千の藩士・家族の命をむなしくしたからである。
そりゃまあ、薩長の無理難題を考えれば(特に長州の“会津憎し”の一念)、どうしようもなかったとは言えるだろうが。

薩長は「藩主松平容保の斬首」「城の明け渡し」「領地没収」を要求したという。
会津藩の重鎮家老たちには到底受け入れがたいものだったろう。
しかし、容保は「ワシの首を差し出す」と言えなかったのだろうか。
家老がどれだけ反対しようが。

いくさで負けたら大将は首を取られるものだ。
それが「武士」じゃないのだろうか。

戦国時代の武将だったら、いくさに負ける→首を取られるか切腹か、とにかく死ぬんだと思っていたのではないかと思う。
江戸時代250年の間に、武士は変容した(実戦はほとんどなくなった)。そして、殿様は武士の大将ではなくて別のモノになっていたんじゃあるまいかなーと。

容保の部下--家老や藩士たちには自刃した人が大勢いる。主君(容保)の助命をして切腹した家老もいる。
その人たちは「主君のために命を投げ打った立派な武士」ということになるんだろうが…。
人に命投げ打ってもらった人が武士のトップだというのは…何なんだろうなあ。

※私は、死ぬことで責任を果たすという考え方や、死を美化することは好きでない。誰も死なないのがいいじゃないかと思うけれども、部下にいっぱい死んでもらって生き残る武士の大将というのがよくわからないのだ。

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