« 光明寺--仏と鳥居 | トップページ | キャナルシティのクリスマス(1) »

2007.12.16

神仏分離のあとさき

この頃お寺や神社に行くと気になる「神仏習合/神仏分離」。
長い歴史のある寺社でも、昔からのたたずまいを続けているのでなくて、明治維新を境に姿が変わってしまった。
神仏分離令(1868年)の前までは、同じ境内に神殿と仏寺・仏塔があったり、神殿内に仏像や仏具があったり、神主さんの代わりに住職がいたり…が当たり前だったらしい。

探してみたらこんな古図があった。

安楽寺天満宮境内絵図(江戸時代初期と推定される)
(「九州諸国の塔跡」)
太宰府天満宮に三重の塔、五重塔、九重塔が…。今はもちろん存在しない。

筑前筥崎八幡宮三重塔・多宝塔(筥崎宮境内古図)
筥崎八幡宮の中に三重塔(室町時代の古図)。

同サイトには神仏分離令の時の様子が書かれている。

筥崎宮神仏分離に関する調査」         明治維新神仏分離資料より、筑紫頼定氏報
仏像仏器などは仏臭として箱崎鯨須磨にて焼却す。内陣木像をも同地にて焼却す、石灯篭は台石蓮華を形作するをい以って放生池に沈め、また境内に埋める、ま た今まで社僧たりし者、発令におよび、地蔵尊および同寺本尊などの像を縄にくくりて町中を引き回し、或は石像・木造の首を打ち落とし、寺の位牌経書仏画を も火に納めたる行蹟があった。

世に言う廃仏毀釈の、なんという狼藉。お年寄りが見たら「罰当たり」と言いそうな。

神社にあった仏像や仏教建築の多くは破壊・焼却され、いくつかは寺に移された。

難を逃れた仏像・建築物 移送状況の例:
・筥崎八幡宮の護摩堂・灯籠堂・弥勒菩薩・十一面観音→恵光院(筥崎八幡宮近くの寺)へ
・櫛田神社横の神護寺にあった六角堂→東長寺へ(神護寺は廃寺)
・宇美八幡宮の薬師如来・阿弥陀如来・弥勒菩薩→須恵町の新原地蔵堂へ

こうして見ると、もったいないというか残念だなーと思う。
上のような大きな神社に如来や弥勒菩薩や仏塔があったら、更に趣があったのに。
破壊焼却された仏像・建築に至ってはもう見ることができないし。

スサノオとか応神天皇をご神体とする宮に仏様がいちゃいかんかったのか。
「南無八幡大菩薩」と武士は唱えたんだから一緒でいいではないかと。
明治政府もセコいことを…。

こういう伝統破壊があった神社を今の私たちは見ているわけである。「悠久のたたずまい」のような気がしていながら。

私も古い寺社が大好きなのだが、最近は「この神殿に仏像があったのかな」「神社のこのあたりに三重塔があったのか」等と脳内でイメージして見るようにしている。
NHKスペシャルで「江戸時代以前の神社再現CG」をやってくれたらいいのだが、ほとんどニーズないかしら。日本の宗教を考える上で、また、明治維新の検証として、面白い視点だと思うんだけどね。

|

« 光明寺--仏と鳥居 | トップページ | キャナルシティのクリスマス(1) »

「地域・歴史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/132693/17378149

この記事へのトラックバック一覧です: 神仏分離のあとさき:

« 光明寺--仏と鳥居 | トップページ | キャナルシティのクリスマス(1) »