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2008.03.11

邪馬台国シンポジウム(2)--邪馬台国は南にあり

3月2日「〜邪馬台国徹底検証 第1弾〜 九州vs畿内」シンポジウムの内容から。

■吉村武彦氏の基調講演「魏志倭人伝と邪馬台国」
Yamatai569

魏志倭人伝(正しくは「『三国志 魏書』烏丸鮮卑東夷伝倭人条」)を元に、邪馬台国論争のあらましをお話ししてくださった。

ポイントの一つとして、「当時の魏は邪馬台国をどう認識していたか」を上げておられた。

(「倭人伝」の)第二段に「その道里を計るに、当に会稽・東冶の東にあるべし」と記されている。現在の地名でいえば、浙江省(せっこうしょう)・福建省の東方海上ということになろう。
〈中略〉
当時の中国は、魏・蜀・呉が抗争する三国時代であった。魏国にとって、邪馬台国は呉国の東方海上に位置する国であり、対呉国の政策上きわめて重要な国であると認識されていたのである。

(シンポジウムのプログラム、吉村氏の講演概要より引用。( )内は引用者)

浙江省・福建省の東方海上といえば、だいたい沖縄のあたり。つまり、魏は倭国を実際よりだいぶ南のほうに延ばした島国だと思っていたのである。
この認識にもとづいて倭人条が書かれたことが、邪馬台国の場所論争を生んだのだろうなあ。

邪馬台国への行程をそのまま読むと、九州をはみ出した南の海上になってしまう。
邪馬台国=畿内説では距離的には合うが方角が違う。
邪馬台国=九州説では方角は良いが距離が合わない。
(沖縄本島が邪馬台国だ、という珍説はナシね。Wikipediaには「琉球説もある」と書いてあるが、今のところお目にかかっていない)

吉村氏は九州説・畿内説いずれを支持するか明言しなかったが、「倭国は南に延びている」話を出したのは、畿内説を有力視しているからではないかな、と私は思った。3世紀頃にあっては、距離を誤解するより方角を誤解するほうがありそうだからだ。

この後の講演で、水野正好氏は畿内説の立場から「南に行く」を「東に行く」に変換して考えるのが妥当だと主張された。

※会場からの質問(紙)で、「自説の都合で変換しちゃいけないんじゃないか」というのがあったが、南を東に変えるのは根拠のない思いつきではない。
上記のように、倭国は南のほうだと認識する記述があるし、古代から中世にかけて中国や朝鮮半島ではそうした「日本列島観」があったとする資料もある。
「南」を「東」に変換することが妥当かどうかはともかく、根拠のある説ではあるのだ。

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