« 「政治的に中立でないとカネは出さん」…の傲慢と弛緩 | トップページ | 検閲の意図は無くても効果は出る »

2008.03.17

邪馬台国シンポジウム(3)--墓は語る

3月2日「〜邪馬台国徹底検証 第1弾〜 九州vs畿内」シンポジウムの内容から(続き)。

■高島忠平氏「弥生王国成立と巫女(ふじょ)王卑弥呼共立の過程」

高島氏は考古学の視点から九州説を唱える。

高島氏が注目するのは「墓」である。

紀元前1世紀頃から、人々の埋葬のしかたが大きく変わる。
それまで小集落の近くにバラバラに埋葬されていたのが、集落から切り離された一定の場所に列状にまとめられる。
同時に、一般人とまったく違った様相を見せる墓や大型墳丘墓がつくられ始めた。
銅剣などの副葬品、貝輪をつけた人…、これらは社会階層の分化を物語っている。
また、副葬品を遺体とともに埋葬するのは、被葬者が死後もなお霊力を保ち、祖霊となって社会を導くことを意味するのだという。

この特徴が見られるのが北部九州地域であることから、高島氏は邪馬台国を北部九州だと考えるのである。

単に「埋葬に社会階層の差異が出現した」だけならば、北部九州以外、近畿地方だって大型墳丘墓が出てくるのであるが(しかも、最近の年代研究から、卑弥呼の時代--3世紀前半に当たる墳丘墓が近畿地方に見られることが指摘されている)。

そこで高島氏は「割れた鏡が埋葬されている」話を--。

割れた鏡が棺の外から見つかっている(棺外破鏡)。埋葬されてから割れたのでなく、あえて割った鏡を埋葬したのだ。それは

被葬者あるいはその霊力のこの世への不帰を祈願する呪術行為と考えられる。
(シンポジウムのプログラム、高島氏の講演概要より引用)

のだという。

棺外破鏡が見られるのは、吉野ヶ里遺跡の甕棺墓、平原遺跡(福岡県)の甕棺墓など、九州北部である。
ここにこそ、大きな霊力を持つ「巫女王」の成立がある、と高島氏は言うのである。

Yamatai572

スライド「吉野ヶ里から邪馬台国が見える」(吉野ヶ里遺跡建造物想像図)

※高島氏は「ミスター吉野ヶ里」として知られる。

|

« 「政治的に中立でないとカネは出さん」…の傲慢と弛緩 | トップページ | 検閲の意図は無くても効果は出る »

「地域・歴史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/132693/40541491

この記事へのトラックバック一覧です: 邪馬台国シンポジウム(3)--墓は語る:

« 「政治的に中立でないとカネは出さん」…の傲慢と弛緩 | トップページ | 検閲の意図は無くても効果は出る »