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2008年5月

2008.05.30

玄洋社記念館が閉鎖される(5月末)

玄洋社記念館(福岡市中央区舞鶴)が今月末をもって閉館になる、と知人から聞いた。

あ…、それは残念。そのうち行ってみようと思っていたのに。平日しか開いてないし、結局行かずじまいになりそう。

記念館の資料は福岡市博物館で保存するとのことだ。

*  *  *

玄洋社は、旧福岡藩士を中心に明治14年に結成された政治団体。

玄洋社の創設者・頭山満は、明治九年の変(神風連の乱、秋月の乱、萩の乱)のとき福岡藩士の決起を企て、投獄された。
その「明治九年の変」の碑が箱崎宮にある。
2006年12月12日 負けた人たちの歴史--「明治九年の変」の碑

Sinpuu455_2 「明治九年の変 先覚烈士之碑」
「進藤一馬」の名がある。

この人は元福岡市長だが、彼の父・進藤喜平太は
頭山満とともに投獄され、のちに玄洋社を創設したメンバーのひとりなのだ。
進藤一馬も玄洋社の社長を務めた。
(ということを写真を撮ったときに私は気づいておらず、最近ある人のブログ記述〈「遠方からの手紙」--かつ7416さんのblog〉がきっかけで知った次第)

明治九年の変の翌年、西南戦争が起きる。それに呼応して福岡で約500名の旧藩士が決起し、福岡県庁(旧福岡城)を襲撃した。これを福岡の変と呼ぶ。

このとき頭山満や進藤喜平太らは獄中にあり、西郷軍とともに戦うことがかなわなかった。その悔しさが玄洋社の設立に向かったようである。

玄洋社記念館は福岡の変を戦った人々の招魂祭を今も行っている。

明治維新前後の国内戦争で戦死した人の招魂、といえば、招魂社。

↓こちらは「官軍」(明治新政府軍)戦死者の招魂を行った。

Higasi721 「官祭 妙見 馬出 招魂社遺跡保存地」の碑
(福岡市 東公園内)

2008年4月8日 靖国・護国神社・招魂社--普通でない神社

 

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2008.05.28

古い唄を聴く--「冬の華」磨香

ずっと前に録音したMDを聴いた。
正確に言うと、ずっとずっとずっと前にFMからカセットテープに録音したのをMDに録音したもの。

私好みの唄がランダムに数曲入っている。
その中で、おそらく今現在知る人は少ないであろう、この唄。

「冬の華」 唄・作詞・作曲 磨香(まこう)

YouTube にありました♪

YouTube「冬の華」

↑これはちょっと声が荒れてるね。ライブなのかな。
私のMDに入ってるほうが、声が伸びやか。
テープがのびてしまう前にMDに録っておいてよかったわ。

FMでしか聴いたことがなかったから、「冬の花」なのか「冬の華」なのかわからなかった。歌手名も「まこ」としか聞こえなかった。マコとかMAKOとか魔子とか書くのかと思っていた。磨香(まこう)だったんだね。

1983年のポプコンで大賞だか最優秀賞だかを受賞し、まだ10代だったらしい。詞も曲も並々ならぬものを感じさせるのだけど…。残念ながらこのあとメジャーになることはなかった。暗すぎたのかな。山崎ハコみたいで私はすごく気に入ったのだが。←そりゃやっぱり暗いわ

特に好きなのがサビの部分

 いつまでたっても枯れないで 毎日涙をあげるから

歌詞のほかのところはいささか古風な文体で、

 華の憂愁が 我が涙に 染みついてゆく

なんて、昔のオッサンが書くような詞ではありませんか。
そこに「毎日涙をあげるから」と。それまでとは異なる展開。ここにあらわれた叙情性に胸を突かれる。

※「冬の花」という唄もある。必殺仕事人の鮎川いずみ姐さんが唄っていてこちらも名曲。ただ、いずみ姐さんは本職の歌手ではないので歌唱力は・・・。

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2008.05.13

なんだろうなあ--東京都立の学校

東風(こち)吹かば…

こんな話が伝わってきた。

「職員会議で、『挙手』『採決』等によって職員の意向を確認してはいけません」

…という通知があるのだそうな。

どこの職員会議かというと、東京都立の学校(高校、養護学校等)。

で、都立三鷹高校の校長が、通知の撤回を求めている。

毎日jp 2008年5月2日「撤回要求:現職校長、都教委に…職員会議の挙手禁止通知」
〈一部引用〉

 都教委は06年4月、「職員会議において『挙手』『採決』等の方法を用いて職員の意向を確認するような運営は不適切であり、行わないこと」と通知し、校長ら幹部による企画調整会議を中枢に据えるよう促した。
(中略)
 都教委は通知後、都立学校への調査を繰り返し、生徒の生活指導や学校行事について挙手をさせた校長を厳重注意にしている。07年2月以降は実施校がゼロとなっていた。

えぇ〜〜〜?

一般教員(校長、教頭〈副校長〉、主任 以外ってことかな)は、学校運営のカヤの外ってこと? 黙っていろということ?

日々、生徒に接しているのは一般教員。その教員たちが意見を言えないって、おかしくないか。

近頃は非常勤教員が増えていると聞く。
そういう傾向も問題だと思うが、都立校にあっては、さらにタテ型の上意下達組織になっているのか。

撤回を求めた土肥信雄校長の言うには

通知後の職員会議について「教職員が『何を言っても意味がない』と思うようになり、活発な議論がされなくなった。教員の意見が反映しにくくなった」
〈上記より引用〉

教員の仕事は生徒相手だから、一律の手順方法で対応できるものでもないし、学校として取り組むべきこともあるだろうし、風通しが悪いのは誰にもメリットないと思うよ。

それにしても都教委って随分ヒマなのかと。歌を歌ったの歌わないのと調査(?)、手を挙げてないかと調査。

Odaiba319_2

※ネットで署名ができるそうなので、撤回を求める校長に賛同の方はどうぞ
http://comcom.jca.apc.org/freedom/

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2008.05.12

博多おきあげ・どんたく・松囃子

太宰府天満宮から九州国立博物館に行く道(動く歩道)の横に、博多おきあげがディスプレイされていた。

博多おきあげ:博多の伝統工芸。布で作った押し絵。江戸時代からつくられている。

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テーマは博多どんたく。
故・西島伊左雄さんの絵をもとに、清水清子さんが制作した。清水さんは博多伝統手織人連盟会員、2代目博多おきあげ代表。

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Dazaifu750_2この飾りのついた傘=傘鉾が博多松囃子(まつばやし:どんたくの前身)のシンボル。
江戸時代の「筑前名所図会」にも描かれている。
(「筑前名所図会 巻一 松囃子 三福神」)

Dazaifu751_2 どんたく〜松囃子の起源をたどると、平重盛への謝意という説がある。戦国時代から江戸時代に正月の祝賀行事として定着したようだ。

どんたくの経緯を見ると(参照:Wikipedia)、そのとき時の政治体制に強く左右されているなあと思う。
明治維新後、知藩事に年始の表敬をしていたら、「文明開化にそぐわない」と禁止される(博多山笠もだが)。しかし、天長節や紀元節を祝えと。その後は招魂祭に出たり軍人の招待会に出たり天皇の即位大典を祝ったり。
戦争中は中止。戦後復活して昭和24年からは憲法記念日に合わせて5月3・4日に行うようになる。今では福岡市民の祭り「博多どんたく港まつり」である。
大勢の人々が踊り、演奏し、パレードする祭りだから、エラい人のためよりも市民の祭りに落ち着いていいじゃあないか、と個人的には思う。憲法記念日に開催を合わせたのも、当時の人たちの安堵とか喜びがあったんじゃないかな。

Dazaifu745

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2008.05.11

糸田祇園山笠(今年は行かず)

今年は糸田祇園山笠(福岡県糸田町)に行かれなかった。残念。

昨年の写真を載せて思い出すことにしよう…
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この担ぎ方が独特。

Itoda30

夜。灯りがともると光が揺れて幻想的。

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※撮影はすべて2007年5月です。
 昨年の糸田山笠の様子は、2007.5.14「糸田--光の山笠」を参照。

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太宰府天満宮のつつじ

GWに太宰府天満宮・九州国立博物館に行った折

天満宮境内のつつじ
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濃いピンクのつつじも山なりに咲いていたけれど、白や薄い色のほうがそそられた。

花・植物を近くで撮れるようになったのはデジカメのおかげ。「花」モードで撮るとバックとの遠近感が出てそれなりにいい感じに。

まだまだ機能を使いこなしているとは言い難いが、おいおいいろんなのをやってみよう。

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2008.05.10

カッパ様、カメ様

島原の猪原金物店&茶房速魚川のカッパ(2008.4.9「島原市内散策--金物屋さんの奥は茶房」

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な、な〜〜〜んと!
このカッパ様を描画生成してくださった方がいたのだ。

こちら↓
粉塵爆発電網記憶-かっぱつれづれ(あと、かめ)
作者はNANさん。

ありがとうございますm(_ _)m

このカッパ様が注目されるとは思わなんだですぢゃ。
色もカッパ色になってますがな。
この写真、カッパ様の下のほうが写ってないのだけど、そちらをちゃんと生成されていらっしゃいます。

確か、全身写したのがどこかに残っていたかな、と思ったら…

私じゃない人が写していたのでご紹介。

ヒゲカズ九州写真blog「島原の街(猪原金物店の中庭)」

なまめかしさは想像の翼にてはばたく…ようです。

カメ様は上記ブログでご覧いただきたく。

NANさんには卑弥呼様も見ていただいて、感謝です。

邪馬台国シンポジウムでパネリストの方々の話を聞いている間、かような落書きをしていたもんだから(話の中味もちゃんと聞いていましたよ)。

ドアラ(中日ドラゴンズマスコットキャラクタ)の顔を力を込めて描いたのもあるけれど、blogに出すのは著作権侵害になるので封印中(>_<)

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2008.05.04

江戸のまちづくり--NHK「徳川家康 『江戸』建設に挑む」

4月30日放映、NHK・歴史ドキュメント ゼロワン「徳川家康 『江戸』建設に挑む」。

私の愉しみのひとつ、古地図と現代の地図と現地を見比べてう〜〜んと唸ったり感じ入ったりする趣味の江戸・東京版(ちょっと違うか)。
徳川家康が葦の原だった江戸を都市に作り上げる過程を追った歴史番組である。

Odaiba322
(2008年の東京・お台場)

「江戸が良い」勧めた「江戸にせよ」命じた秀吉 受けた家康

家康に「江戸を本拠地にせえよ」と言ったのは豊臣秀吉だった。
秀吉には、葦の原で開けていない江戸に家康を押し込めようとの深慮遠謀があった。

…昔、何かの本で読んだ話には、「小田原を本拠地にしようと思っていた家康に、誰かが『江戸にしなされ。あそこは広くてよろしいぞ』と勧めた」とあった覚えがあるが、その「誰か」が秀吉だったのかな。その本の記述では親切なお勧めみたいな印象があるが、さすがに戦国大名、そんなお人好しのわけはない。

(5月5日・追記&訂正)
NHKサイト「その時歴史が動いた〜徳川家康『江戸』建設に挑む」を確認したところ、秀吉は家康に「関東への領地替えを命じた」とある。「勧めた」のではない。
私は上記の「誰かが『江戸は良い』と勧めた」話の印象と混同してしまったようだ。この話の出典は確認できておらず、秀吉の領地替え命令の話が変形したのか、あるいは実際に他の人物が「勧めた」経緯があったのか、今のところわからない。
(追記・おわり)
(再度訂正)訂正の仕方が不十分だったので「江戸にせよ」命じた…に修正。何度もすみませんm(_ _)m

家康は秀吉の胸中を知っていたが、あえて「江戸にしよう」と考えたらしい。
ピンチをチャンスに変えるというか、江戸の持つ可能性に賭けたのだろう。

(そういえば博多のまちづくりを進めたのも秀吉である。秀吉は近世の都市誕生の功労者とも言える)

近世都市の発展は水路が命

さて、家康はその秀吉の本拠、大坂(大阪)をモデルにまちづくりを始める。
開けていないとはいえ、江戸は各地から船が集まる場所だった。
その船が陸地に入れるよう、水路を引いてゆくのである。
当時の都市の発展にとって、水運が非常に重要であったことがわかる。物流の主力は水路だったからだ。
現代では「高規格道路がないと地方が発展せんとです」と東国原知事が訴えたりするが、近世の水路は今の高速道路と同じなのだ。

埋め立ても行われた。
神田駿河台の台地を切り崩し、その土で「日比谷入江」を埋めた。
当時、江戸城のすぐ東、日比谷公園あたりまで江戸湾が深く入り込んだ入江だったようである。

当時の川・水路と土地の変化がわかるサイトはこちら↓

「江戸の原型と神田川の流路」

現在のJR東京駅・有楽町・新橋のあるところは「前島」と呼ばれる半島状態。
家康は日比谷入江を埋め立て、江戸城の東〜南に土地を確保して臣下の宅地とした。
こうして江戸城(皇居)まわりの都心部の基礎ができたのである。

上のサイトの地図を見ると、川筋の変更、水路工事、埋め立て工事、どれも大規模で大変だ。しかし、家康の家臣たちはかなりの短期間でやり遂げたそうである。

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2008.05.02

島原鉄道と「レイラ!」

仕事が深夜までかかってしまった日、つけっぱなしのテレビ(NHK総合)にふと目をやると…

島原鉄道の映像だった(^^)

Simabara631

南線(島原外港--加津佐)はもう廃止されてしまった。
映像は過去のストックなのか、列車が走る南線も映っていた気がする。

この映像のバックに流れた音楽が「いとしのレイラ」(原題:Layla)デレク・アンド・ザ・ドミノス

私のココロをくすぐる組み合わせだよ。

半分の路線を廃止せざるを得なかった島原鉄道。
哀惜を込めて「レイラ!」と叫ぶ。

NHKのディレクターに、思い入れ(曲か、鉄道か、両方か)のある人がいるんだろうか。

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