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2008.05.04

江戸のまちづくり--NHK「徳川家康 『江戸』建設に挑む」

4月30日放映、NHK・歴史ドキュメント ゼロワン「徳川家康 『江戸』建設に挑む」。

私の愉しみのひとつ、古地図と現代の地図と現地を見比べてう〜〜んと唸ったり感じ入ったりする趣味の江戸・東京版(ちょっと違うか)。
徳川家康が葦の原だった江戸を都市に作り上げる過程を追った歴史番組である。

Odaiba322
(2008年の東京・お台場)

「江戸が良い」勧めた「江戸にせよ」命じた秀吉 受けた家康

家康に「江戸を本拠地にせえよ」と言ったのは豊臣秀吉だった。
秀吉には、葦の原で開けていない江戸に家康を押し込めようとの深慮遠謀があった。

…昔、何かの本で読んだ話には、「小田原を本拠地にしようと思っていた家康に、誰かが『江戸にしなされ。あそこは広くてよろしいぞ』と勧めた」とあった覚えがあるが、その「誰か」が秀吉だったのかな。その本の記述では親切なお勧めみたいな印象があるが、さすがに戦国大名、そんなお人好しのわけはない。

(5月5日・追記&訂正)
NHKサイト「その時歴史が動いた〜徳川家康『江戸』建設に挑む」を確認したところ、秀吉は家康に「関東への領地替えを命じた」とある。「勧めた」のではない。
私は上記の「誰かが『江戸は良い』と勧めた」話の印象と混同してしまったようだ。この話の出典は確認できておらず、秀吉の領地替え命令の話が変形したのか、あるいは実際に他の人物が「勧めた」経緯があったのか、今のところわからない。
(追記・おわり)
(再度訂正)訂正の仕方が不十分だったので「江戸にせよ」命じた…に修正。何度もすみませんm(_ _)m

家康は秀吉の胸中を知っていたが、あえて「江戸にしよう」と考えたらしい。
ピンチをチャンスに変えるというか、江戸の持つ可能性に賭けたのだろう。

(そういえば博多のまちづくりを進めたのも秀吉である。秀吉は近世の都市誕生の功労者とも言える)

近世都市の発展は水路が命

さて、家康はその秀吉の本拠、大坂(大阪)をモデルにまちづくりを始める。
開けていないとはいえ、江戸は各地から船が集まる場所だった。
その船が陸地に入れるよう、水路を引いてゆくのである。
当時の都市の発展にとって、水運が非常に重要であったことがわかる。物流の主力は水路だったからだ。
現代では「高規格道路がないと地方が発展せんとです」と東国原知事が訴えたりするが、近世の水路は今の高速道路と同じなのだ。

埋め立ても行われた。
神田駿河台の台地を切り崩し、その土で「日比谷入江」を埋めた。
当時、江戸城のすぐ東、日比谷公園あたりまで江戸湾が深く入り込んだ入江だったようである。

当時の川・水路と土地の変化がわかるサイトはこちら↓

「江戸の原型と神田川の流路」

現在のJR東京駅・有楽町・新橋のあるところは「前島」と呼ばれる半島状態。
家康は日比谷入江を埋め立て、江戸城の東〜南に土地を確保して臣下の宅地とした。
こうして江戸城(皇居)まわりの都心部の基礎ができたのである。

上のサイトの地図を見ると、川筋の変更、水路工事、埋め立て工事、どれも大規模で大変だ。しかし、家康の家臣たちはかなりの短期間でやり遂げたそうである。

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