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2008年8月

2008.08.28

博多駅・三代の話(3)--駅はずずっと移動

三代目博多駅=今の駅、そして今の場所。
それまで博多の町の南東側に沿っていた駅を、さらに南東にずずずいっと移動した。
昭和38(1963)年のことだ。
↓旧博多駅(一代目・二代目)と現博多駅(三代目)の位置関係
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駅の拡張・移転計画は戦前に持ち上がっていたとのこと。
日中戦争とアジア太平洋戦争で頓挫していたが、戦後、世の中が落ち着いて再び移転計画が始動する。

新たな駅の場所は、畑地の多い南東部だった。
このあたり、江戸時代に福岡藩主が薬用人参(ニンジン)を作らせた場所もあり、現在でも「人参公園」として名残を留めている。

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三代目が開業した頃の博多駅周辺。駅の両隣に博多郵便局と交通センターがあるが、他はまだ空き地が多い。今は日航ホテル、全日空ホテル、朝日新聞ビルなどが並んでいる。

この翌年に東海道新幹線が開業しており、新幹線の博多延伸も視野に入れた拡張だっただろう(実際に博多まで新幹線が開通したのは12年後の1975年)。

※上の写真説明に「西日本一の民衆駅・新博多駅として」とあるのは意味不明。
国鉄(国)がフツーに作ったんじゃないの? なんで「民衆」駅?

※三代目博多駅の建設中、二代目博多駅が国鉄業務をしていたわけだが、両者は場所がだいぶ離れていたため、三代目博多駅を「新博多駅」と呼んだ。が、当時福岡市内を走っていた西鉄の路面電車に「新博多」という電停があり、国鉄の新博多駅とまぎらわしいというので、電停名を「千鳥橋」に変えたという逸話がある。

この博多駅移転のことは、宮脇俊三・著「鉄道廃線跡を歩く」シリーズ(Can books)でも紹介されている。主要駅をこれだけ移動させたのは珍しいのではないかな。

駅位置を南東に大きく寄せたおかげで、博多・福岡の町は南方面に大幅に拡張された。
ただ、このとき、駅・鉄道路線の方向(角度)が40度くらい回転したものだから、駅前道路と博多の既存市街地道路の接続が変則的になり、都市のかたちとしてはいささか奇妙になっちゃったかと。
ほかにやりようもないし、しょうがないけれども。

(しかし、のちに、地下鉄路線がこの変則的継ぎ足し市街地を効率的に繋ぐ設計にならなかったのは「しょうがない」話ではないと思う)

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2008.08.26

飢人地蔵尊夏祭(4)--花火

飢人地蔵尊夏祭。最後は花火。

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流れる灯籠と共に、霊の送り火に。

町内会のおじさんたちが上げた(らしい)こぢんまりした花火だけれど、ナイヤガラをがんばってくれた。

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飢人地蔵尊夏祭(3)--灯籠流し

飢人地蔵尊夏祭。24日は灯籠を博多川に流す。

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川の中で灯籠を置く人。
博多川は浅いようだね。

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灯籠は家名を書くのもあり・無記名もあり。
中にはペットの名前らしきものも。

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風と潮の干満で、灯籠は川の流れとは逆方向に動いていった。

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博多の町で、非業の死をとげた無名の人々の霊に手を合わせた。
もう、飢える人なく、戦火に焼かれる人のないように…。

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飢人地蔵尊夏祭(2)--博多の提灯

川端の飢人地蔵尊。
風にゆれる提灯。

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博多の盆提灯は長くて大きい。
写真のものは博多長(はかたなが)という提灯。
お盆に使った提灯を飢人地蔵に持ってきて吊す人もいるらしい。

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2008.08.25

飢人地蔵尊夏祭(1)

今年も飢人(うえにん)地蔵尊夏祭に行った。

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川端飢人地蔵尊は博多川べりにある。
多くの人が手を合わせ、蝋燭の炎がゆらめく。

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お坊さんが法要していた。

飢人地蔵は、江戸時代・享保の大飢饉で亡くなった人の供養のためにつくられた。長雨、害虫の発生で大凶作となり、博多や周辺の人々が飢えと病で倒れていったのである。その数、約6,000人。博多の人口の3分の1にものぼったそうだ。
どこかから辿り着き、行き倒れになった人もいただろう。どこの誰とも知られず、骸(むくろ)になった人も。

270年前の大飢饉と、そして63年前の博多・福岡で焼夷弾に焼かれて命を落とした人々を想いながら、博多川に灯籠を浮かべる一夜だった。

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2008.08.14

博多駅・三代の話(2)--ハイカラ駅の時代

二代目博多駅ができたのは明治42(1909)年。

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説明文によると

大理石と煉瓦がふんだんに使われたルネッサンス式建築の二代目博多駅は、豪華絢爛で西日本一の駅舎といわれ、柱一本に至るまで彫刻がほどこされていました。

明治の終わりから大正の頃、「ハイカラ建築」が地方にも次々にできた。

博多駅新築の5年後、大正3(1914)年につくられた門司駅(現在の門司港駅)駅舎は今も残され、「レトロ駅」として観光スポットや映画・ドラマのロケにも活用されている。駅舎では唯一の国指定重要文化財だとか。
門司港駅の写真はこちら→「JR門司港駅(北九州市)写真満載九州観光

博多駅は窓や柱の上部に丸みがあるが、様式は門司駅と同じだろう。
この博多駅駅舎も保存していれば貴重な建築遺産になったろうにね。第二次大戦の福岡大空襲でも壊れなかったのだけど。

二代目博多駅ができた年、門司〜鹿児島間の鹿児島本線が全通。九州を縦断する鉄道が完成したというわけ。
翌年には福岡市内の路面電車が開業しており、福岡は本格的な鉄道時代に入ったと言える。そして、町の姿も大きく変容することになった。

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2008.08.10

博多駅・三代の話(1)訂正追記あり

今、博多駅は駅ビル建設工事中である。
2011年の九州新幹線(鹿児島ルート)全線開業に伴い、駅ビルを一新するのだ。
新駅は博多駅開業から4代目の駅舎になる。

工事中のフェンスにあった過去の博多駅の写真(図絵)。
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初代博多駅は明治22(1889)年に開業。
九州で初めての鉄道として、博多から千歳川停車場まで開通したのであった。
※千歳川とは筑後川の旧名。停車場は筑後川手前に造られた。

説明文にあるように、初代の博多駅は現在の場所から北西に600m離れた所にあった。その場所は今「出来町公園」になっており、鉄道記念のモニュメントが置かれている。

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(上の写真の地図を拡大。博多の町と福岡城下の範囲を書き加えた)

赤い点線が最初の鉄道路線。当時の博多の町の南面に寄り添うように鉄道が敷かれ、駅ができたのだ。
博多駅を降りたら、すぐ前を博多祇園山笠の山が走るのが見えただろう。

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(初代博多駅・拡大)
これは絵図だけれど、初代博多駅舎は木造1階建のようだ。駅前に路面電車の軌道が描かれている。
明治43(1910)年に福岡市内に路面電車(福博電車)が開通。博多駅前にその名も「停車場(ていしゃば)」という電停ができている。

博多駅ができたのと同じ年に市町村制が施行され、博多と福岡は合同で福岡市となる。その時の人口:50,847人、博多駅の平均乗降人数:約800人(1日)だったそうである。1日800人とは、当時としては多いのかなあと思う。乗車賃はいかほどだったろうか。

  *  *  *
[8月14日・追記]
上にエエカゲンなことを書いてしまった。福岡市内に路面電車が開通した明治43年には博多駅はもう二代目の駅舎に変わっていた。してみると電車軌道のように見えたのは何なのだろう。

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2008.08.03

福岡タワー--天の川

夜の福岡タワー
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壁面には天の川。こと座・わし座(織女と牽牛)も配置されているよ!

Tower188

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2008.08.02

ここにも山笠--吉塚駅

JR吉塚駅を通りかかったら、今年の山笠の舁き山が展示されていた。

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中洲流の「桶狭間武薫之勇」、白馬と騎馬武将(織田信長)。

山笠の飾りや人形は、終わると崩して各自持って帰るみたい。
中にはそのまま福岡空港だとか九州国立博物館だとかに飾る例もあるが。

この白馬と武将、追い山のあと軽トラの荷台に積まれて持って帰るのを目撃した。
なぜ吉塚駅に来たのか経緯はわからないが。
馬と武将がたいへん良い出来だから飾ることにしたのかな?

舁き山として走っている写真はこちらに→「ヒゲカズ九州写真blog 2008.7.14

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