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2008.09.03

博多駅の代替わりと町の変容(1)--江戸の町から明治の町へ

博多駅三代の「代替わり」を見てツラツラ考えた。
代替わりの時期が、博多・福岡の町のエポックメイキングになるできごととちょうど重なっているんだなあと。

以下、町の姿と合わせてまとめてみた。

第1期:黎明期
1889(明治22)年  ・市町村制施行 福岡市の誕生
・初代博多駅開業(九州鉄道:博多--千歳川 開業)
第2期:近代都市形成期
1909(明治42)年  ・二代目博多駅開業
・門司--鹿児島 全線開通
1910(明治43)年 ・福岡市に路面電車(福博電気軌道)開業
第3期:都市拡張期
1962(昭和37)年  ・博多祇園山笠の集団山見せが始まる
・「住居表示に関する法律」施行
1963(昭和38)年  ・三代目博多駅開業(場所を移転)
1966(昭和41)年  ・福岡市の町界町名変更
1975(昭和50)年  ・山陽新幹線 博多開業
第4期:ポストモダン(?)
2011(平成23)年  ・四代目博多駅開業予定
・九州新幹線鹿児島ルート全線開業予定

各期の呼び名は私が適当につけたもの。

第1期:市制の施行により福岡市が誕生したのと博多駅ができたのとが同じ年なのはたまたま偶然、ではあろうが。
このとき、市名をめぐってスッタモンダがあったことは地元ではよく知られている。これについてはまた後日書こうかな。

「福岡市」がスタートし、鉄道はできたが、町は木造家屋と狭い道でまだまだ江戸時代の続き。
近代的な都市に変わったのは、明治も末期、電車の通る広い道が整備され、煉瓦造りの洋館が建つようになってからだ(第2期)。
電車通りの整備に際しては、数多くの寺社が移転している。博多駅周辺でも、初代博多駅の時代には従来の場所にあった寺社が、二代目に建て替わったときに移転した(東林寺、若八幡宮)。→近代福岡市街地図(福岡県立図書館のサイト):明治23(1890)年及び明治42(1909)年の地図を参照

初期の鉄道駅は規模が小さく、また、町外れや町の端っこにつくられることが多くて、都市の形成にはさほど影響を及ぼさなかったようだ。
鉄道敷設は明治政府にとっては近代国家建設のための大切な事業だったけれども、地元の人たちには違った思惑があった。
「陸蒸気(汽車のこと)の煙は迷惑だ」
「煙が田畑の作物に害を及ぼす」
「旅館業が廃れる」
「城下町にそんなもん入れるな」
等々…。
鉄道忌避、反対の意見により、駅は町から離れた寂しい場所につくらざるを得なかった。鉄道が開業しても、利用者はエライ人や役人、金持ちくらいで、一般庶民には縁のないものだったんじゃないかな。

しかし、開業後20年も経つと、鉄道駅のステータスはぐんと上がった。駅は威風堂々の建物に替わり、駅前も整備されて、町の正面玄関として輝きを放った。
この20年の間に殖産興業があり、日清・日露戦争があり、「近代的な強い帝国」へのあゆみがあった(それは必ずしも良いことばかりではなかったと私は思うけれど)。

二代目駅が開業した頃、福岡市の人口は約79,000人。博多駅乗降人数は1日約4,000人。初代博多駅開業時と比べ、人口は5割増だが、駅の乗降客は5倍に増えた。
初代博多駅は江戸時代の町の隅っこにあった「停車場」だったが、二代目にして、駅を主役にしたまちづくりが進んだのだなと思う。

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