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2008年9月

2008.09.30

カプチーノ--カフェ・MARU

中央区春吉のカフェ・MARU
Maru390

ラテアートのお花が可愛いです。

店内にマック(ハンバーガーじゃないほう)が置いてあった…

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2008.09.29

かぶりもの劇団、1カ月の公演!(10月2日〜)

福岡で人気のかぶりもの劇団「ギンギラ太陽's」が、1カ月間のロングラン公演を行う。
地元の小劇団が1カ月も公演するのは福岡ではおそらく初めて。今まで見損ねていた人もこの機会に行きましょう。

「ギンギラ」に登場するのはすべて“かぶりもの”のデパート・バス・鉄道・お菓子、etc…。

ショートコント?
ではない。

舞台では福岡・博多の汗と涙の熱〜い歴史が繰り広げられるのだ!
そして、思い出も悲哀も絶望も希望も。

今回の演目:「天神開拓史」
(西鉄創立100周年記念特別興行)
10月2日〜11月3日
会場:西鉄ホール(ソラリアステージ6F)
全席指定 4,000円
ギンギラ太陽'sのサイト

地方公演(東京)もあります。
「さよなら初代0系新幹線 BORN TO RUN」
11月28日〜12月7日
会場:池袋あうるすぽっと
Sinkansen390

今は山陽新幹線「こだま」として走る0系。11月30日で引退する。

ギンギラ太陽'sのかぶりものステージはこんなふう
(2007年8月 キャナルシティ博多)

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2008.09.22

かめ?…です

放生会ですくってきたカメ。2匹。

Kame414_2

生き物を飼う趣味はあまりないのだけど、せっかくすくえたので。

Kame416

いちおう元気らしい。

テレビを見ていたら、名前が浮かんだ。
イチロウとタロウ(^^;)
中村くんと中島くんでもいいんだけど(西武優勝目前)。

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2008.09.18

放生会の夜--筥崎宮

筥崎宮の放生会(ほうじょうや)に行く。

去年は御輿行列があったのだが、これは2年に1度だけの行事。
今年は、厳かな神事と打ってかわって、キッチュで俗な世界へ…。

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ゲゲゲの鬼太郎。上のお化け屋敷とは別口。

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うなぎつり。
「うなぎつりに来い〃」とさる人にしきりに言われ、どうやらうなぎつりは放生会の目玉らしい。私もここの祭り以外でうなぎつりを見たことがないなあ。
うなぎなんて釣れるのかい、と思ったけど、実際釣ってる人がいた。

Houjouya378

この区分がなんとも。

Houjouya383

釣ったうなぎはその場でさばいて蒲焼きにしてくれる。

うなぎつりの他に、鯉つり、ざりがにつり、カメすくい、もちろん金魚すくいも。いろんな生物が釣られたりすくわれたりしているのだった。

確か、放生会は殺生を戒める儀式が由緒だったかと。
捕獲した魚・鳥獣を放生するものであるとWikipediaにある。
うなぎを釣って食べてしまっては逆なんだけれど…。

筥崎宮の放生会は江戸時代には大いに賑わう祭りになっていたようだ。
「筑前名所図会」(奥村玉欄・作 文政4(1821)年)の「箱崎八幡宮・放生会」の図絵には、御輿行列とともに、見せ物小屋か芝居小屋ふうの建物、敷物を敷いて集っている人々が描かれている。
中村学園のサイト:「筑前名所図会」挿絵[PDF])

もうひとつ、放生会で「見らんね」(見なさいよ)と誘われたのが「樽のバイク乗り」。
“蓋の無い特大の樽”の中をバイクが走行する曲乗り(というのかな、キグレサーカスでは球体の中を走行していた)。
走行面は垂直だし、ライダーは真横になって走るのだ。
見物客は外側の上から見るのだけど、木の壁がガンガン振動して迫力満点。
幼い頃に見ていたら怖くてうなされそうだ。
客が上から手を伸ばして「おひねり」(お札)を差し出すと、ライダーは走りながら巧く受け取った。

最初は一人だったのが、次は二人目のライダーが登場して二台で走り回る。
二台が同じ速度で対角線上を走ったあとは交差し…いや、すごいですね。ライダーたちは若くて少年のような顔だったけれど。

Houjouya375

この写真は場外。左が大樽。
樽のバイク乗りも放生会の名物らしく、昔からやっていたそうだ。

*  *  *

こういう祭りを1週間やるっていうのがね。福岡の人は賑やかなのが好きなのね。
「だから福岡では『やかましい』は良い意味、誉め言葉なので…」
いや、そういう話は聞いてないから。

参考:

「やかましか」と叱られると「やかま(8釜)しかま(4釜)は12釜」で逃げたり、博多っ子は子供のときからユーモラスですね。

西日本シティ銀行「ふるさと歴史シリーズ・放生会」より。強調は引用者)

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2008.09.14

博多駅・三代の話(4)--開業時の乗車賃はいかほど?

博多駅・三代の話(1)」で、初代博多駅が開業した時(明治22=1889年)の乗車賃はいかほどだったろうか と書いた。

ネットで答えを見つけた。

福岡市博物館のサイト・「近代福岡交通史」より。

「博多から二日市までの汽車賃往復22銭(下等客車の料金、中等は2倍、上等は3倍)、二日市駅からの人力車賃往復14銭の合計36銭で、日帰りでゆっくり宰府(さいふ)参りができる」という新聞記事が掲載されたほど、汽車のスピードはおどろきでした。しかし、明治20年前後というと、かけそば1杯が1銭という時代ですから、太宰府まで往復の交通費が36銭というのは、現在の感覚からすると、非常に高く感じられます。

だそうである。

かけそば1杯---今だと250円くらいか。
すると、博多--二日市(福岡県筑紫野市)往復22銭 → 今の価値で5,500円程度。
中等客車なら11,000円、上等客車なら16,500円。

ひぇ〜〜高け〜〜

ちなみに、現在の運賃:
JR九州 博多--二日市 往復 540円
西鉄 福岡(天神)--西鉄二日市 往復 660円

上の引用から推測するに、博多から太宰府へは鉄道開通以前は泊まりがけで行く場所だったのだろう。天満宮のお参りとか。
鉄道を使って旅館代をかけないのであれば、「超・高い」とも言えないか。

博多--二日市の距離はだいたい15kmくらいなので、徒歩で3時間少々で行ける。日帰り可能な時間だから、やはり庶民はこの料金を出して汽車に乗るのをはばかっただろうね。

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「天神のまちづくり展」--これも撮影禁止だった件

警固神社に「博多人形でつづる『源氏物語』」を見に行った帰り。
西鉄天神駅を通ったら、ソラリア1階で「天神のまちづくり展」というのをやっていたので見てきた。

Tenjin342

今年は西鉄(西日本鉄道)創立100周年とのことで。
西鉄100周年記念[100周年記念イベント]

天神の歴史:古い地図や明治〜昭和の天神界隈の写真パネル、天神の街の模型(ジオラマ)、まちづくりNPOのコンセプト等が展示されていた。

私が目を皿のようにしてじ〜〜〜〜っと見たのは、やはり古い地図と昔の写真である。
昔(明治初期か)の天神の地図と現代の地図が重ね合わされ、往年の海が埋め立てられて開発されてきたのがよくわかる。今、福岡市役所庁舎やアクロス福岡(かつて県庁があった)が建っている所が福岡城のお堀だったことも。

天神の街の模型は、航空写真をもとにして建物を一つひとつ作った、たいへんに手間のかかったものだ。

こういうのを見るのはとても楽しいのだが、この展示もまた「撮影禁止」なのだった。
前日のエントリ(コメント)にも関連するけれど、こういう展示で撮影を禁止する必要はあるだろうか。
「こういうのがあったよ」と内容を写真で伝えられないのが残念。

※「撮影禁止」は微妙な問題もあるが…

この展示には写真もあるので、ちょっと微妙かもしれない。
パネルの写真を正面から撮影して、自分が撮った作品のように見せかけて利用する、といったことが可能と言えば可能だから(それは明らかに著作権侵害)。
模型や説明文・図のパネルは撮ってもいいんじゃないのかなあ…と思うが。

主催者に撮影禁止の理由を聞いてはいないから(「撮影禁止」と大きく書いてあっただけ)、著作権に触れるから禁じているのかどうかはわからない。
私が主催者なら撮影可にするけど。
展示写真を撮影して自分の作品に見せかけて利用する人がいる、というリスクよりも、展示を見た人が写真と一緒にブログで紹介してくれたり、そっちのメリットを取りたいと思う。

そういえば「インゴ・ギュンター展 地球108の顔」(2005年9月、九州大学大橋キャンパスにて開催)は写真撮影させてくれた。
真っ暗な会場で、作品の内部にライトが仕掛けてあったから、フラッシュを使わなければ、という条件で。
こういうのでも撮影許可しているので、「天神のまちづくり展」は、展示内容とか場所(ビル1階のスペース)を考えると、撮影禁止は「ん〜〜〜???」な感じである。

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2008.09.13

博多人形でつづる「源氏物語」--警固神社

今年は「源氏物語」ができて(記録の上での確認ができて)から1000年。
源氏物語千年紀のイベントがいろいろと行われている。
博多祇園山笠でも源氏物語を標題にした飾り山が作られた。(←櫛田神社の飾り山なので、山笠が終わった今でも見られますよ)

先週末、中央区の警固神社で行われたのは「博多人形でつづる『源氏物語』」の展示(9月6日〜8日)。
Genji337

展示室内は撮影禁止のため、エントランスだけ。

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博多人形の作家たちが、源氏物語の登場人物を丹念に表現している。

Genji335

中で1点だけ、紫式部の人形があった(上写真に使われている)。
装束は地味ながら、知性を感じさせるきりりとした表情で、人形作家さんも1000年前の小説作家に共感を寄せたのかなあと。

Genji333

Genji337b※「源氏物語千年紀」の紫式部キャラクタ

これはまあなんとシンプルな横顔(^^;)
源氏物語絵巻に描かれた、ほぼそのままの顔だけど。
現代的なグラフィックデザインにもぴったり。

ペアで、光源氏もある。
京都府ホームページ「ロゴタイプ・シンボルマーク・キャラクター」

源氏物語の基礎知識がある人なら誰でもわかる。奈良の「せんとくん」みたいに揉めることはないな…。

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2008.09.12

ホークスの試合の後--オリンピックの野球を考えた

ソフトバンクvs 楽天 の試合が終わって。
ドーム通路の壁に貼ってあったポスター。

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川崎ムネリンは五輪以降骨折で欠場。こんなとこでお顔拝見。
確かこれのテレビCM版を五輪より前に見た。
ムネリンかわいそう。一人だけ飲めなくて、じゃなくて、五輪で無理したのが。

場内で某民放の北京五輪テーマソング「あきらめないで〜♪」が流れていたけど、野球日本代表[星野JAPAN]のムネンな負け方を思い出してしまったなあ。

あれは岩瀬が悪いんじゃなくて、川上のせいでもなく、森野と荒木のせいでもなく(中日ファン必死だなw)、G.G.佐藤もまあしょうがなくて、

星野が悪いんじゃ!

…と言いたいところだが、星野さんだけに責任をおっかぶせておくのも座りが悪い。

星野監督のミスはあったと思うが、準備期間の短さや、国内でリーグ戦を続けながらオリンピックに代表を送ったことは星野さんのせいではない。誰が監督をやっても、選手選考や調整に難が生じただろう。

そもそも、オリンピックの野球競技をどう考え、どう取り組んできたのか。そこが問題だ。問われるべきなのは、プロ球界、アマ球界、両組織の上層の人たちではないか。

今回の結果を受けて、代表のプロ選手たちは「甘い」「ぬくぬくの環境でやってるからだ」「アマ選手の気概を見習え」等と批判された。(注)
しかし。
プロ野球選手とアマチュア選手とでは、目標も日頃のやり方も違う。
プロ野球選手の目標は、リーグ優勝そして日本一になることだ。オリンピック目指してプロに入った選手はいない。
(「悲願の金メダル」とやたら言われたけれど、それは選手・監督でなく、野球界の組織の悲願だったわけで。選手自身が金メダル等を悲願にしている他競技・アマ選手の場合と違う)
もともと目標の異なるプロ選手に、急にモードを切り替えさせて「金メダル取れっっ」つってもなぁ。結果がまずかったからってその姿勢までも叩かれるのは気の毒じゃないかなぁ。

だいたい、なぜにプロ選手がオリンピックに出ることになったのか。
プロ選手が「出たい」と言ったのでないのは確かだ。
アマ組織からの要請で、プロアマ混成(シドニー)→オールプロ(アテネ・北京)になったのでしょ?
アマ組織の側が代表のプロ化を推進しておいて、プロ選手に「アマを見習え」ちゅうのはおかしな話ではある。ならアマ選手を代表にすればよかったじゃないの。

(注)これは一般ファンから出た批判であるが、松永怜一さんのような、アマ球界の重鎮からも同様の批判があったのである。
sanspo.com 「プロ感覚抜けず」松永怜一
プロがプロ感覚なのは当たり前じゃないのかなー?

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2008.09.10

屋根が開いたドーム--ホークスの試合

9月10日、ソフトバンクホークス vs 東北楽天イーグルス を見に行った。

ドームに入り、なんだか雰囲気が違う…と思ったら

Hawks343_6

屋根が開いてるでないかい! \(〜広〜〜)/

空が見えると、開放的でいいねえ。

Hawks345

夕焼けも綺麗でおました。

なんでも、9年ぶりのルーフ開放試合だって。
天候さえよければ、もっと屋根開けて試合やればいいのに。

Hawks346

Hawks351

夜の空。隣の日航ホテルも見える。たぶんホテルのレストランからドーム内が見えるだろう。

6回の頃、トイレに行って戻ってきたら屋根が閉まってた。
ホークスが勝ったら屋根開放で花火上げるんだから、そのまま開けとくと思ったのだけど。今日は勝ちそうなんだがなあ。

Hawks353

楽天応援団。ここの一角にだけこぢんまりしていた。交流戦のドラゴンズ応援団のほうが多かった。楽天は新しいチームだし遠いし、これだけいれば立派なものかな。一人のおっちゃん(に見える人)がリードして、「山崎、満塁ホームラン」とかみんなで声を合わせてたよ。

ホームランはどっちも出ず、投手戦でホークスの勝ち。新垣投手は調子を上げてきたようだ(今日は暴投なし)。

Hawks361

Hawks363

勝利の花火。いつもの2倍上げたそうです。連敗だったから余っていたのか(笑)

屋根は天候不良のため閉めていた。さっき閉めたのもそのため? 帰るとき、雨が降った形跡はなかったけど。

この屋根、開閉にもお金がうんとかかると聞いたのだけど、中内功さん(故人・ダイエー元会長)はよくこんなのをつくったものだ。今のダイエーの経営状態を考えると隔世の感があるね…。

Hawks365

花火後、周辺ライトが点灯。

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2008.09.06

北斗の水くみ写真は撮れなかったので

Hokuto325

星のサラに北斗七星

材料:フルーツみつ豆(缶)

赤い星が微妙な位置に(これはお皿のプリント)

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2008.09.05

玄界灘に北斗七星--北斗の水くみ写真

水平線に北斗七星がかかる「北斗の水くみ」。
デジカメ写真の募集(主催:北斗の水くみ写真展実行委員会)は8月いっぱいで終わったようだ。
入賞作品発表はまだだけれど、どんな写真が集まったかな〜。

実は私も8月深夜に宗像市のさつき松原近辺に行ってみたのだ。
ところが、天候が今ひとつで…。晴れてはいるけど空に薄い雲がかかって星がくっきり見えない。
写真は元々あきらめていたものの、見ることも叶わず、しょげて帰ってきたのでありますよ(-_-)

こうなったら、ネットで写真を探そう(安直)。

こちら(ささぽんさんのブログ)など、良いではないですかぁ。
水平線ギリギリまでひしゃくが降りているとまさに「水くみ」なんだけど、水平線近くはライトがあったりして星が見えなくなってしまうよね。

ささぽんさん、何回か北斗の水くみを撮っている。これとか。
さすがにプロの写真家はうまい。花火の写真も綺麗!

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2008.09.03

博多駅の代替わりと町の変容(1)--江戸の町から明治の町へ

博多駅三代の「代替わり」を見てツラツラ考えた。
代替わりの時期が、博多・福岡の町のエポックメイキングになるできごととちょうど重なっているんだなあと。

以下、町の姿と合わせてまとめてみた。

第1期:黎明期
1889(明治22)年  ・市町村制施行 福岡市の誕生
・初代博多駅開業(九州鉄道:博多--千歳川 開業)
第2期:近代都市形成期
1909(明治42)年  ・二代目博多駅開業
・門司--鹿児島 全線開通
1910(明治43)年 ・福岡市に路面電車(福博電気軌道)開業
第3期:都市拡張期
1962(昭和37)年  ・博多祇園山笠の集団山見せが始まる
・「住居表示に関する法律」施行
1963(昭和38)年  ・三代目博多駅開業(場所を移転)
1966(昭和41)年  ・福岡市の町界町名変更
1975(昭和50)年  ・山陽新幹線 博多開業
第4期:ポストモダン(?)
2011(平成23)年  ・四代目博多駅開業予定
・九州新幹線鹿児島ルート全線開業予定

各期の呼び名は私が適当につけたもの。

第1期:市制の施行により福岡市が誕生したのと博多駅ができたのとが同じ年なのはたまたま偶然、ではあろうが。
このとき、市名をめぐってスッタモンダがあったことは地元ではよく知られている。これについてはまた後日書こうかな。

「福岡市」がスタートし、鉄道はできたが、町は木造家屋と狭い道でまだまだ江戸時代の続き。
近代的な都市に変わったのは、明治も末期、電車の通る広い道が整備され、煉瓦造りの洋館が建つようになってからだ(第2期)。
電車通りの整備に際しては、数多くの寺社が移転している。博多駅周辺でも、初代博多駅の時代には従来の場所にあった寺社が、二代目に建て替わったときに移転した(東林寺、若八幡宮)。→近代福岡市街地図(福岡県立図書館のサイト):明治23(1890)年及び明治42(1909)年の地図を参照

初期の鉄道駅は規模が小さく、また、町外れや町の端っこにつくられることが多くて、都市の形成にはさほど影響を及ぼさなかったようだ。
鉄道敷設は明治政府にとっては近代国家建設のための大切な事業だったけれども、地元の人たちには違った思惑があった。
「陸蒸気(汽車のこと)の煙は迷惑だ」
「煙が田畑の作物に害を及ぼす」
「旅館業が廃れる」
「城下町にそんなもん入れるな」
等々…。
鉄道忌避、反対の意見により、駅は町から離れた寂しい場所につくらざるを得なかった。鉄道が開業しても、利用者はエライ人や役人、金持ちくらいで、一般庶民には縁のないものだったんじゃないかな。

しかし、開業後20年も経つと、鉄道駅のステータスはぐんと上がった。駅は威風堂々の建物に替わり、駅前も整備されて、町の正面玄関として輝きを放った。
この20年の間に殖産興業があり、日清・日露戦争があり、「近代的な強い帝国」へのあゆみがあった(それは必ずしも良いことばかりではなかったと私は思うけれど)。

二代目駅が開業した頃、福岡市の人口は約79,000人。博多駅乗降人数は1日約4,000人。初代博多駅開業時と比べ、人口は5割増だが、駅の乗降客は5倍に増えた。
初代博多駅は江戸時代の町の隅っこにあった「停車場」だったが、二代目にして、駅を主役にしたまちづくりが進んだのだなと思う。

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