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2009.01.08

筥崎宮--注連縄・幟旗

「玉せせり」の時に撮影。

Tama809

玉洗い儀式に使う水桶。

この注連縄(しめなわ)・注連飾りにいつも惹かれる。

小さなものから特大級まで、また、デザインもいろいろあるけれど、稲藁と植物とシンプルに折った紙(紙垂:しで)の組み合わせ、たまりませんなぁ。

注連縄はいつ頃からあったのだろう。やはり水田稲作が定着した弥生時代からかな。

その時代に紙はまだなかったし、奈良時代になっても非常に貴重だったから、紙を付けるようになったのはかなり後の時代だろうと思う(昔は紙でなく木綿を使ったそうだ)。一般家庭の注連縄や、祭りの期間に町内に張り巡らせる注連縄にもふんだんに紙垂を使うのは、ひょっとして明治以降なのかもしれない。

紙垂の形にはバリエーションがあって、「吉田流」「白川流」「伊勢流」などの名前がある。上の写真は吉田流になる。
(参照:Wikipedia「紙垂」

もうひとつ、神社に来るとしげしげ見るのが幟旗。

Tama810

真っ青な空に白い幟旗。

筥崎宮は「筥崎八幡宮」であり、祭神は応神天皇。
八幡はヤワタ・ヤハタとも読むから、応神天皇とハタは縁が深いのかな。

なんでも、卑弥呼が魏から旗を贈られた、と魏志倭人伝にあるそうだが。
旗を掲げて戦うイメージは応神天皇がぴったりだなーと思う。

倭王武が上表文に書いた「祖禰(そでい)自ら甲冑をつらぬき、山川を跋渉(ばっしょう)し…」の「祖禰(先祖)」は、応神天皇でもあるだろう。
(倭王武が雄略天皇だとすると、応神天皇はひいおじいさんにあたる)

※倭王武は雄略天皇ではない、そもそも倭の五王は大和王朝の天皇とは別人だ、との説もある。
が、4世紀末から5世紀に西日本で大きな勢力を持った王がいたのは事実だろうし、その王を後世の武家が武人の神・八幡様と尊崇したので、王は大和でも九州王朝でもどちらでも良いのではないかな。

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