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2009年3月

2009.03.21

授業料滞納と卒業証書--それってモンスターペアレント?

高校、授業料滞納で「卒業証書を渡さない」の怪 の続き。

島根県安来高校の「授業料を滞納したら卒業証書を渡さない」という通知は、

卒業までの期間が約6カ月を切った時期の滞納対策なのかな

と前回書いた。

学校が念頭に置いたのは、あくまでも「時期」であって、特定の長期滞納者対策ではなかったのだろうと思う。
なぜなら、3年生全員の保護者あてに通知しているからだ。それまでキッチリ納付していた保護者も含めて。
滞納を続ける困った親に業を煮やし、卒業証書を渡さないという強い姿勢に出た、という話ではない。

学校は「2月には2・3月分の授業料をまとめて引き落とす。これを滞納すると卒業証書を渡さない」と通知した。 つまり、これまでキッチリ納付していても、たまたま2月に滞納が生じたら卒業証書アウトですよ、と。
(もちろん、以前の滞納が残っている人が2月引き落とし分だけ払っておく、というのもダメだけど。完納しないとアウト)

ネットではこのへんを誤解しているらしき主張がしばしば見られる。
「ずっと滞納するようなバカ親に毅然と対応したんだ。よくやった!」みたいな。

私がどうにも違和感を持つのは、この件で滞納問題を「バカ親(アホ・ゴネ得・モンスターペアレント)」vs 学校 という図式でばかり見たがる人が少なくないこと。

滞納=バカ親なの? 残高不足で引き落とし不能が1回でも生じたら滞納ということになるけど、それはそんなにもバカ・アホ・モンスターなことなの?
引き落とし不能なんてそう珍しいことでもないし、バカだアホだと糾弾されるほどの悪事でもないのだが(無論引き落とし不能にならないよう注意するほうが良いが)。
未納(滞納)といってもいろんな程度がある。「1回引き落とし不能」から「数年間滞納して督促無視」「全額不払いで夜逃げ」までいろいろだ。

この高校の事例、報道では長期滞納や督促無視の親の話は出ていない。そういう親がいたかもしれないし、いなかったかもしれない。いるかいないかわからないのに「バカ親の話」と決めてかかって「証書を渡すべきでない」挙げ句は「退学させるべき」とか。
なんだかなぁ〜〜。

2月納付分が滞納になってしまう→たまたまその時引き落とし不能になるケース(それまではキチンと納付していた)だってあるんだよ。

そういうケースでも「証書渡しませんよ」と通知したことが問題になったんだけど。長期滞納とかの「困った保護者」(いわゆるバカ親)への対応は、別途やってきているんで。

(参照:島根県教育委員会の回答

たまたまだろうがなんだろうが、引き落とし不能を起こすヤツはバカに決まっている。卒業証書を渡さないくらい当然だ。とお考えの方は、各種料金支払いが1回でも引き落とし不能になった場合は、延滞金程度でなく、もっと厳しいペナルティを自ら課していただきたく(例:家の電気を使わない、携帯・ネット不使用 等)

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2009.03.20

高校、授業料滞納で「卒業証書を渡さない」の怪

「高校の授業料を滞納している生徒には卒業証書を渡さない」という話が、一部ブログ界で盛り上がっていた。

発端はこれのようだ。→ YOMIURI ONLINE 2009年2月28日(魚拓)

島根県立安来高は、1月20日、3年生約150人全員に保護者あてとして「授業料を期限までに全額納付しない場合、卒業証書を渡さない」と書いた文書を配布。

県教委は2月26日付で「未納を理由に卒業証書を授与しない取り扱いはできない」とする文書を全校に通知した。河原一朗・高校教育課長は「授業料滞納と卒業証書の授与は別問題で、卒業証書を人質に取ったと批判されても仕方がない対応だった」と話している。
(上記YOMIURI ONLINEの記事より抜粋)

その後の報道で、同じように「授業料滞納の生徒に卒業証書を渡さない」とか、「卒業式でいったん渡したあと学校が回収し、授業料が納付されたら生徒に渡す」という措置をとっている学校が同県や他の自治体の公立・私立高校にもあることが判明した。

これについて、ネット、ブログでは賛否両論があった。

「授業料納付義務を果たさないなら卒業証書を渡さないのは当然だ。島根県教委はおかしい」

「滞納は親(保護者)の責任。その結果を子どもに帰するのは良くない」

等々。

法律論やら教育論やらモラルの問題とかいろいろ出ているのだが、話が錯綜している気がするので、整理してみた。

■卒業証書を渡さない=卒業を認めない(退学扱い) なのか?

ネットで調べた限りでは、卒業証書を渡さないからといって、その生徒を退学(or除籍)にする、高卒資格取り消し、ということではないらしい。

あれ? それじゃ、滞納しても高卒資格には影響しないってこと?

冒頭に挙げた「卒業証書を渡さない、もしくは回収」措置のみであれば、卒業資格には影響ないようだ。

ただし、滞納→保護者に督促→一定期限を過ぎても払わない&免除手続もしない→出席停止を通知→それでも払わないと出席停止→それでも払わないと退学を通知→退学

ということはある。(例えば鳥取県の規定「鳥取県立高校の授業料未納に対する取扱要領」について:PDF)

この場合、滞納して1カ月やそこらで退学させるわけでなく、納付期限後6カ月経過し、今後の納付見込みもないと判断された場合に退学処分になる。

他の自治体や私立高校ではどんな規定なのかまだ調べてないが、退学処分に至る過程や期間の長さはそれほど違わないのではないか。最近聞く「敷金ゼロの賃貸アパート、1カ月滞納ですぐ出て行かされる」なんてセッカチなことはあるまい。

…で、だいたい6カ月程度が「納付を猶予する期間」だとして、件の卒業証書渡さない事例を考えると、島根県立高校は「2月に2・3月分の授業料を納付するよう通知」しているので、そこで滞納があっても3月の卒業式で「この生徒は滞納につき退学処分」の決定をくだすには早すぎるのである。

では「卒業証書渡さない」は一体なんなのか?

卒業までの期間が約6カ月を切った時期の滞納対策なのかな、と思う。

卒業してしまったら出席停止も退学も意味ないし。生徒が学校に来ないので連絡をとるのも大変だ、煩わしい。といったあたりかと。

■「卒業証書を渡さない」=ルールを守らせる、ゴネ得許すまじ…か?

そうすると、卒業証書を渡す/渡さないに焦点をあてて、「ゴネ得を許すことになるから卒業証書を渡すな」という主張は、いささかズレているのではないか。

長期にわたって滞納し、納付する気もないモンスターペアレント的な保護者に対しては、上に挙げた規定(納付しないと停学→退学処分)で対応しているし、島根県にそうした規定がなかったのなら整備すればよいことになる。

また、その規定に照らせば、2月に滞納して3月に退学処分・卒業資格取り消しではおかしい。一般の公共料金でも1回滞納(残高不足で引き落とし不能)で即電気を止められるとか、そんな厳しいわけではない。敷金ゼロのすぐ追い出されるアパートか高金利の金貸しくらいなもんでしょ、厳しいのは。

ルールを守れというなら、6カ月程度の猶予期間を定めておきながら、卒業の前月の滞納だけ猶予を1カ月にしちゃうなんて、それこそルール違反。

仮に卒業式の少し前で滞納があったなら、卒業式当日はまだ「納付してくれー」と督促する段階であり、生徒は退学処分までされることはなく、卒業証書を受け取って悪いことはないのだ。

島根県教委の「授業料滞納と卒業証書の授与は別問題」とは、まさにその通りではないのか。

※なお、文部科学省の見解は以下のようである。

文部科学省の担当者は学校教育法の施行規則で、公立と私立や授業料の滞納の有無にかかわらず、校長には教育課程を修了した生徒への卒業証書の授与が義務付けられているとし「滞納と関連付けるのは不適当」と指摘している。
山陰中央新報 2009年3月12日 島根ワイド(魚拓) より)

それに、証書を渡さなくても卒業(高校の課程を修了)自体に影響ないのだから、本当に悪質でゴネ得してやれっていう親に対しては効果ないんじゃないかな。
実際、卒業証書は卒業式で受け取って以降、使やぁしないし。履歴書に「○○高校卒業」と書いたら採用担当者に「卒業証書持ってこなければ信じない」と言われた人なんていないと思う。

なくても支障ない卒業証書で「悪質な踏み倒し」を防げるとは思えない。

罰則のない労働基準法違反規定では悪質な企業の違反を防げないのと同じだ。

(この話、続く予定)

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2009.03.15

東京大空襲…「平和祈念館」のゆくえ

東京大空襲の被災地図を展示していた江戸東京博物館。
東京滞在中、ちょっと時間が余ったので行ってみたわけだが。

とにかくデカくて広くて、豪華な博物館だったなあ。
バブル期に計画されたとかで、まあどこでもある話か。

…ところで、東京大空襲のことをネットで調べていて、ちょいと気になる記述があった。

このサイト「東京大空襲・戦災資料センター」趣旨と沿革>設立趣旨
より引用

 「東京空襲を記録する会」は1970年より、この空襲・戦災の文献や物品を広く収集してきましたが、1999年に東京都の「平和祈念館」建設計画が凍結 となりました。そこで、「記録する会」と財団法人 政治経済研究所は、やむにやまれぬ思いで民間募金を呼びかけ、4000名をこえる方々の協力によって、2002年3月9日、戦禍のもっとも大きかった地に 当センターを完成させることができました。用地は一篤志家から無償提供されたものです。

 (強調は引用者)

東京都の平和祈念館建設計画が凍結?
あんな豪華博物館をつくっているっちゅうのに?
それほど豪華でなくてもいいんだから、平和祈念館くらい建てられる財力はあるだろうに。
都民たちが受けた空襲や戦災の大きさを思えば、東京都がつくって当然と思えるのだが。
不思議だなあ…

と思っていたら

今日になって、なぜ祈念館の建設ができなくなったか、理由がわかった。

「平和祈念館は自虐史観による陰謀だ」と反対した都議がいたのだ。

Wikipedia 土屋敬之(つちや たかゆき)より

民主党所属の東京都議会議員

初当選直後、東京都が計画していた「東京都平和祈念館」が「自虐史観」に基づいた偏向展示であると主張し、着工直前に計画を中止させた。

そういういきさつだったのね。他にも理由はあるかもしれないが。

自虐史観に基づいた偏向展示って何のこっちゃら。「日本人は大きな被害を受けたが、加害者でもあった、という視点があると自虐的」とか? 「『日本は100%正しくて被害者でアジア太平洋戦争は防衛とアジア解放のため』以外の考え方は自虐史観」とか?

*  *  *

この都議の名前を知ったのは全く別件だった。

都立七生養護学校の性教育を「過激」と非難し、授業中止・教材没収・教員処分をさせた都議のひとりがこの人だったのだ。同校の教員・保護者に提訴され、3月12日の東京地裁判決で損害賠償を支払うよう命じられた。

実にたいそうなご活躍ぶりである。

しかし、この人は知事や教育長じゃないんだから、こういう考え・行為が通るということは、都議会の多数に支持されているってことかな? 東京都の教育についてはさもありなんだけど。

で、東京都の平和祈念館は今現在「建設計画凍結」なのだが(中止になったわけではない)、土屋都議は自ら主張する「自虐史観でない正しい平和祈念館の建設」に向けて活動しているのだろうか。東京都だったらさっさと建設できているはずだと思うけどねえ。オリンピックやらに比べたらずっと少ない費用だし。

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2009.03.13

東京大空襲

3月10日は東京大空襲の日だった…。

Edo900_2

江戸東京博物館の「東京大空襲被災地図」展示パネル。先日東京に行った折に撮影した。

山手線と荒川に挟まれた下町が空襲で猛火に焼かれた。

地図には赤い線が無数に書かれている。被災者の住所と死亡場所を結んだ線である。被災者がどの経路で逃げ、命を落としたかを調べたものだ。

隅田川沿いに線の集中箇所がある。炎に追われ、川に飛び込んだり、橋の上で亡くなった人が大勢いたのだ。

総武本線(横に走る路線)を挟んだ区域でも非常に多くの人が亡くなった。

2005年3月にこの地図をもとにしたNHKスペシャル(「東京大空襲 60年目の被災地図})が放映された。それによると、米軍が焼失させる予定の区域はもっと狭かったそうだ。この地図の城東区(現・江東区)は予定に入っていなかったが、爆撃機が火災による強風にあおられて狙いが逸れたことと、折からの季節風で東のほうへ火災が広がったためだという。

3月10日の空襲で死亡したのは約10万人。

よく、こうした空襲を「無差別爆撃」と言うけれど、人が密集して暮らす、燃えやすい木造民家が多い町を狙い、戦後の占領に利用できる建物や“立派な”ところは避けたわけだから…

無差別じゃないんじゃない?

※上の写真のパネルは常設展示。5階のいちばん端っこにあります。常設展示館内は写真撮影可ですが照明の暗い場所も多々あり。

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2009.03.12

Doblog長期ドツボ?

友人のTomasさんが書いていたブログ「Ojos(眼)」のサーバ、Doblogが長期にわたって故障中らしい。

←サイドバーの「リンク」から辿ると、昨年8月までしか表示されない。
以降、2月頃までのログの行方は…??

そんなわけでTomasさんは他のブログに引っ越し、「アラ古希日記」と題して写真日記を再開した。
「アラ古希」とは around 古希 のこと。古希を過ぎたとは思えないお元気さで写真と日記を続々載せている。

しかし、Doblogは一体どうなっちゃってるの? こんな大規模な不具合は聞いたことがないよね。
難民キャンプまでできたんだとか。
Doblog難民キャンプ

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2009.03.09

「陸奥国」の大移動

1カ月も前のことだけど、「平泉 みちのくの浄土」展を観て思ったこと。

■陸奥国とはどこか

「みちのく」と言えば東北地方全般を指すことが多い。
では「陸奥国(むつのくに)」は今のどこかと言うと、ほぼ青森県の範囲ということになっている。
だが、これは明治初期に定めたものであって、それ以前は

陸奥国={福島県・宮城県・岩手県・青森県}と、非常に広範な地域だったのである。

江戸時代には現・福島県や宮城県も陸奥国だったことになる。なんかイメージと違うのだが…。

しかし、陸奥国の成立と変遷を追うと、福島、宮城こそが陸奥国だと納得できる。

■陸奥国の変遷

■陸奥国のはじまり:
飛鳥時代(7世紀末)、宮城県中南部、山形県内陸部、福島県 を陸奥(みちのく)と称する。※陸奥を「むつ」と呼ぶようになったのは鎌倉時代以降らしい

■律令制時代:
・712(和銅5)年、山形県域は出羽国となる(越後から分離)。宮城県中南部と福島県が陸奥国。
・718(養老2)年、陸奥国を陸奥・石背(いわせorいわしろ)・石城(いわき)の3つに分割。陸奥国は宮城県中南部。
・722(養老6)〜724(神亀元)年頃、上記3国は再度陸奥国になる。

■大和朝廷北進時代:
大和朝廷は蝦夷(えみし)と戦争をして勢力を北に拡大。
福島県・宮城県・岩手県・青森県までが陸奥国となる。
(ただし、大和朝廷の完全な支配下にあったわけでなく、安倍氏・奥州藤原氏といった地元勢力が力を持っていた)

■陸奥国が「日本」の範囲になる:
奥州藤原氏滅亡。鎌倉幕府が地頭を置く。
以降、明治維新まで、東北地方太平洋側+青森→陸奥、東北地方日本海側→出羽。
江戸時代は幕府と藩による統治であったため、国の領域は行政的に意味を持たなかった。

■陸奥国の分割:
明治元年(1869)、陸奥を陸奥・陸中・陸前・岩代・磐城に分割。
廃藩置県により、それぞれ青森県(陸奥)・岩手県(陸中)・宮城県(陸前)・福島県(岩代・磐城)となる(国の境界と県境は若干異なる)。

というわけで、だいたい福島県を中心に始まった「陸奥国」は、1200年近く経って青森県まで移動したのだった。その距離、約300km。

(陸奥国の成立と変遷についてはWikipedia 陸奥国 を参照した)

陸奥とは「みちのく」と同じだと考えるべきなのかもしれない。もともと陸奥をみちのくと読んでいたようだし。

陸奥=青森県のイメージを持つのは、ひとえに明治政府のせいである。

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