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2009.03.09

「陸奥国」の大移動

1カ月も前のことだけど、「平泉 みちのくの浄土」展を観て思ったこと。

■陸奥国とはどこか

「みちのく」と言えば東北地方全般を指すことが多い。
では「陸奥国(むつのくに)」は今のどこかと言うと、ほぼ青森県の範囲ということになっている。
だが、これは明治初期に定めたものであって、それ以前は

陸奥国={福島県・宮城県・岩手県・青森県}と、非常に広範な地域だったのである。

江戸時代には現・福島県や宮城県も陸奥国だったことになる。なんかイメージと違うのだが…。

しかし、陸奥国の成立と変遷を追うと、福島、宮城こそが陸奥国だと納得できる。

■陸奥国の変遷

■陸奥国のはじまり:
飛鳥時代(7世紀末)、宮城県中南部、山形県内陸部、福島県 を陸奥(みちのく)と称する。※陸奥を「むつ」と呼ぶようになったのは鎌倉時代以降らしい

■律令制時代:
・712(和銅5)年、山形県域は出羽国となる(越後から分離)。宮城県中南部と福島県が陸奥国。
・718(養老2)年、陸奥国を陸奥・石背(いわせorいわしろ)・石城(いわき)の3つに分割。陸奥国は宮城県中南部。
・722(養老6)〜724(神亀元)年頃、上記3国は再度陸奥国になる。

■大和朝廷北進時代:
大和朝廷は蝦夷(えみし)と戦争をして勢力を北に拡大。
福島県・宮城県・岩手県・青森県までが陸奥国となる。
(ただし、大和朝廷の完全な支配下にあったわけでなく、安倍氏・奥州藤原氏といった地元勢力が力を持っていた)

■陸奥国が「日本」の範囲になる:
奥州藤原氏滅亡。鎌倉幕府が地頭を置く。
以降、明治維新まで、東北地方太平洋側+青森→陸奥、東北地方日本海側→出羽。
江戸時代は幕府と藩による統治であったため、国の領域は行政的に意味を持たなかった。

■陸奥国の分割:
明治元年(1869)、陸奥を陸奥・陸中・陸前・岩代・磐城に分割。
廃藩置県により、それぞれ青森県(陸奥)・岩手県(陸中)・宮城県(陸前)・福島県(岩代・磐城)となる(国の境界と県境は若干異なる)。

というわけで、だいたい福島県を中心に始まった「陸奥国」は、1200年近く経って青森県まで移動したのだった。その距離、約300km。

(陸奥国の成立と変遷についてはWikipedia 陸奥国 を参照した)

陸奥とは「みちのく」と同じだと考えるべきなのかもしれない。もともと陸奥をみちのくと読んでいたようだし。

陸奥=青森県のイメージを持つのは、ひとえに明治政府のせいである。

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