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2009.07.17

博多祇園山笠--山の標題もいろいろ

舁(か)き山・飾り山の人形や飾り物は博多人形師がつくる。

標題と人形の造形には意表を突くものもあって面白い。

Oiyama27

東流「千手乃光照丈夫(せんじゅのひかりはもののふをてらす)」
この人は誰かというと、坂上田村麻呂(平安時代の征夷大将軍)なのだ。
おそらく、パッと見てわかる人はいないだろう。
田村麻呂が京都清水寺に現れ、鬼を退治した伝説をもとにしているという。
平安初期に蝦夷(えみし)征討に向かった将軍のイメージとはだいぶ違う。

次のも、説明を聞いて「へ〜、そうだったんだ」と思った標題。

Yama270

土居流「和心生大道(わしんだいどうをしょうずる)」
冠が中国皇帝のような感じなので、孔子かしら? と。
いえ、この人は聖徳太子。

聖徳太子といえば、昔のお札や教科書の肖像画が有名だ。それとは冠や衣裳が異なる。

有名な肖像画のほうでは地味すぎるんじゃないか? というのもあるかもしれないが、聖徳太子像として中国風の描き方をするのはまんざら間違いではないと思う。

その時代は中国・朝鮮の影響が強かったし、標題の「和心生大道」は十七条の憲法「和を以て貴しと為す」から採っているが、その源流は孔子の論語「有子曰 禮之用和爲貴」と言われるからだ。

※十七条の憲法は聖徳太子(厩戸皇子)の時代でなく、日本書紀制作時(奈良時代、720年)の創作だという説もある

Yama269

土居流の見送り。「南無佛」の文字が金色に輝いている(佛=仏)。

儒教と仏教、中国の政治・文化の影響を受け、律令官制へ始動した時代。聖徳太子像の背景にはそうしたものがあっただろうから、妙に日本を強調する聖徳太子(「日出処天子」に依拠)よりも実像に近いんじゃないかな。

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コメント

最初の写真の東流(ひがしながれ)が 15日の追い山で一番に櫛田神社境内に入ってきた時の迫力は感動でした。 
前かがみ気味に扇を差し出しているのが行け行け感を増していました。 

土居流は 聖徳太子だったのですか。 納得。

12,13,14,15日と福岡にいましたが、天気に恵まれ
殆どの飾り山も見られて 祭りの雰囲気にどっぷりと浸れました。 

東京に帰っても のぼせている私です。

投稿: ピカソ・マニマニア | 2009.07.17 08時31分

ピカソ・マニマニアさん

コメントありがとうございます。
追い山を櫛田神社でご覧になったんですね。
良かったですね〜。というか羨ましいです。

ところで私もピカソが好きです。
19歳のときピカソ晩年の作品展に行って、一通り見終えたら、係の方が「19歳なら、良いでしょう」と別室に案内してくれました。
そこにはエロティックな作品(リトグラフ)が…(^^) R18のお部屋だったんですね。
亡くなるまでエネルギッシュだったピカソ、やっぱりすごいです。

投稿: kiriko | 2009.07.18 06時27分

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