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2009年7月

2009.07.28

QHM(Quick Homepage Maker)(7)--文字サイズ変更ボタン

QHM(Quick Homepage Maker)のバージョンが4.20になった。

4.20の新機能で「文字サイズ変更を閲覧者が画面上でできる」設定が加わったのかな。文字サイズ…大・中・小のボタンを押すとページの文字が大きくなったり小さくなったり、という機能。

こちらに設定方法の説明がある。

ホームページソフトのQHM 文字サイズ変更機能

メニュー部分に文字サイズ変更ボタンを設置する方法も紹介されている。

D++ Cool Design Labo メニュー部に設置できる文字サイズ変更ボタン

私はこれをやってみた。

文字サイズ変更はできた。…が、なぜか不思議な現象が起きてしまった。

フッタのCopyright部分と、一番下のライセンス表示部分の文字が大きくなり、中・小ボタンを押してもリロードしても「大きいまま」なのである。しかも、ライセンス表示の文字列はところどころでサイズが違うという、摩訶不思議なことになっている。

謎です…(@_@)?

この原因を解明する能力は私にはないので、他の方法を探してみた。一般サイトでも見かけるから、javascriptで作成する方法がいくつかありそうだと思って。

次のが最も簡単だった。

javascriptで文字サイズ変更する方法 -- OKWave

QHMで作った「簡単!ホームページ更新」に入れてみたが、今のところ問題なさそうだ(Firefox、Safari、Windows IE6で確認)。

ボタンがフォームに使うinputボタンなのでデザインは変えられないが、まあボタンデザインに凝らなくてもいいだろうと。

文字サイズの変わる部分がD++ Cool Design Laboさんご紹介の方法(QHM方式?)と若干違う。

・QHM方式…見出し、箇条書き(リスト)、フッタ、ヘッダ、ページの目次、HTMLで編集した箇所は変更されない。サイズ変更して他ページに行ったら変更サイズが適用される。

・OKWaveにあったjavascript方式…見出し、フッタ、ヘッダ、ページの目次は変更されない(リストとHTML編集箇所は変更される。表の文字も変更)。サイズ変更して他ページに行ったらデフォルトサイズ。サイズ変更はページごとに適用。

QHMでリストやHTML編集を多用して作ると、QHM方式のサイズ変更は「あまり変わらない」印象を受けるかな。

※文字サイズの変更はブラウザの「表示」メニューでできるのだけれど、Windows IE6ではpx指定の文字サイズは変更できない。また、サイト閲覧者にはブラウザでサイズ変更ができることを知らない人もいるので、ページ画面に文字サイズ変更ボタンをつけるのは親切で良いことだと思う。

上記、いずれの方法でも、「QHMは便利だ〜〜」と感じる。

QHMを使い、javascriptで入れる方法は次の通り。

QHMの管理画面:

設定 > サイト情報の設定 > その他のタグ に下のタグを入れる。

<script type="text/javascript"><!--
function large()  { document.body.style.fontSize = "120%"; }
function middle() { document.body.style.fontSize = "100%"; }
function small()  { document.body.style.fontSize = "80%"; }
//--></script>

120% 等の数字は任意に変える。14pxなど、他の単位でもよい。

次に、メニュー管理 > メニュー編集 で下のタグを#html{{   }}のカッコ内に入れる。

<input type="button" onClick="large()"  value="大">
<input type="button" onClick="middle()" value="中">
<input type="button" onClick="small()"  value="小">

大中小の順序は入れ替え可。このままなら横に並ぶ。

QHMではこの2回の処理で済むのでラク。一般作成方法だとページごとに入れなくちゃならないから。

QHMに付加していない機能でもこのように追加して使えばよいわけで(スムーススクロールもそうだけど)、便利な機能をさっさっと入れやすい点でもQHMは良いなあと思う今日この頃なのです。

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2009.07.23

部分日食・福岡--9割欠けた

日本で46年ぶりの皆既日食。
福岡では9割方が欠ける部分日食だった。

天気は薄曇り、なんとかカタチが見えた。

Nissyoku464

簡易ピンホールカメラに映る太陽。斜め上から4割程度欠けたところ。

こちら↓、木漏れ日。
Nissyoku471

三日月形になっているように見えるけど…
気のせいかな。

Nissyoku474

ベンチに映っている。ピーク時を少し経過、11時過ぎ。
同じ向きの円弧がいくつもあるから、欠けた太陽の形じゃないかな。

10時50分頃(最も欠けたとき)、あたりは薄暗くなった。
でも、思ったほど暗くない。1割だけの光なのに、明るいものなんだね。

観察道具を準備しておけばよかったな〜。
簡易ピンホールカメラ(段ボール製)を見せてくれた方、ありがとうございました。

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2009.07.19

かけ算の順序問題・覚え書き

ちょちょんまげさんのブログエントリ「掛け算の順序の話」に興味をひかれたので私の思うところを書いてみる。

●かけ算の文章問題を式に書くとき、順序を逆にすると「不正解」なのか?

【問題】
みかんが3個ずつ4枚のお皿に盛ってあります。みかんは何個あるでしょう。

一般的には

3 × 4 = 12 こたえ:12個

であるが、これを

4 × 3 = 12 こたえ:12個

と書いたら、「答えは合っているけど式が合っていないから不正解」とする教師が一部にいるのだという。

「不正解」とする主旨は

・答えだけ合っていても、プロセスが正しくない
・「考え方」が大事である
・「かけられる数」「かける数」を順序正しく書かなければならない

といったものである。

これらの主張をするサイト事例:

http://www.inter-edu.com/forum/read.php?903,1013957,page=1
http://ultramarutti.blog26.fc2.com/?no=595
http://anothertrack.hp.infoseek.co.jp/others/0028.htm
http://anothertrack.hp.infoseek.co.jp/others/0029.htm
http://www.eonet.ne.jp/~mnzbo645/kakekakerare.htm

●プロセス・考え方が大事だ、というのはもっともだが、では、順序が逆だとプロセス・考え方において決定的にマズイところがあるのか?

私の考えでは「別にマズくない」なんだけど。

上の問題を図にしてみた。

(A):「3個のみかん」を先に書く

Kakezan1_3
 

(B):「4枚のお皿」を先に書く

Kakezan2_2

(B)のプロセス・考え方にマズイところは見いだせないのだが。

「順序を正しく書け」派の考え方のポイントは次の通り。

(1)「かけられる数」が先に来なければならない

(2)先に書いた数量の単位=答えの単位 である

(A × B = C のとき、Aの単位 = Cの単位)

しかし…

そんな法則とかルールがあるのだろうか?

それは「かけ算の基本」なのだろうか?

かような法則の心当たりもないし、少し調べてみたけれど、やはり、そんなルールは存在しない。

そもそも、かけ算を習った後の算数・数学で、この(1)(2)はあっさり否定される。

中学の数学では記号を使う。 を2倍する場合であっても2 と書く。2 ×= × 2である。

中学どころか、小4くらいで

正方形の面積は … 一辺の長さ(m)× 一辺の長さ(m)= 面積(m^2

って出てくるではないか。長さの単位(mとか)と面積の単位(m^2とか)は違うものでしょ。

で、こういうことを「数学なんて知らねーよ」という人が言うならまだしも、現職教員や塾教師が書いているので困ったものである。

●なぜ「順序を正しく」を金科玉条にする人がいるのか

「かけられる数を先に書く」と、かけ算を最初に学習するときに割と理解しやすいのではなかろうかと思う。
上に挙げた図を見ると、(A)図のほうがスンナリ考えられそうな気がする。

しかし、それは「理解しやすそうな方法」にすぎず、「それ以外は間違い」とするものではない。

ちょちょんまげさんによると、アメリカでは「かけられる数」を後に書くのだそうだ。冒頭の問題文でいうと、4 × 3 = 12 がアメリカの初等教育のスタンダードな書き方らしい。
なので「かけられる数を先に書く」のが断然理解しやすい、とも言えないのだ。

日本語の問題文では「かけられる数」が始めに出てくることが多いからじゃないのかな、とも思う。(「3個のみかんが…」とか「1個50円の○○を…」等で問題文が始まる)

「かけられる数を先に」とはその程度のもんじゃないかと。
その程度のものを、「その通りじゃなきゃ不正解」とか「考え方がダメ」呼ばわりは不当であろう。

「先に書いた数量の単位=答えの単位」というのも、「かけられる数が先」と決めるからそう考えてしまうだけだ。

普遍的でもない定義をして、それに縛られているのだと思う。

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2009.07.18

博多祇園山笠--山笠を支える加勢町・加勢衆

博多(昔からの博多。那珂川と御笠川に挟まれた区域)の人口はあまり多くない。
現在、約15,000人。

なのに山笠で山を舁(か)く人、走る人、「こんなにいるのか〜?!」というくらい大勢いるのである。

それは、加勢といわれる、博多部以外から参加する人々の存在が大きい。

加勢には、個人で加勢する加勢衆・加勢人と、町単位で加勢する加勢町とがある。

Yamamise314

写真は中洲流の人たち。集団山見せ(7月13日)の帰り、中洲とは反対方向に帰る。旗に染め抜かれた「満津若」は加勢町の名称。加勢町はこの通り(大博通り)よりも東にあるのだろう。

加勢は江戸時代からあったという。

博多の山笠は江戸時代初期には走らなかった。飾り山を舁き歩き、途中で昼飯を食べるくらいゆっくりしたものだった。
それが1730〜1740年の頃、先行する山に追いつこうと走るようになった。「追い山」の始まりである。
5kmの距離を走るのだから、舁き手が終始同じではスタミナがもたない。交代して速度を保とうとする。それには人手が必要だ…

というわけで、流以外の人を応援に呼んだのだ。博多周辺の町・村(江戸時代なので村が多かったろう)が加勢に入ることになった。

※江戸時代の追い山・加勢の始まりについては「民博共同研究会 『ストリートの人類学』竹沢尚一郎」(PDF書類)を参照した。竹沢氏は山笠の祭りが盛大になり、加勢を必要としたことと、博多の町の自治が強くなったのが同時期であることを考察していてとても興味深い。

千代流・中洲流は区域的には博多部外であるが、加勢による参加を経て、戦後に流として独立した。

近年は博多部の人口減少もあり、個人の加勢が増えているという話だ。規模の大きい博多祇園山笠には、博多の生まれ育ちでない人の参加も欠かせないだろう。特にこれからは少子化も進行するし。

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2009.07.17

博多祇園山笠--山の標題もいろいろ

舁(か)き山・飾り山の人形や飾り物は博多人形師がつくる。

標題と人形の造形には意表を突くものもあって面白い。

Oiyama27

東流「千手乃光照丈夫(せんじゅのひかりはもののふをてらす)」
この人は誰かというと、坂上田村麻呂(平安時代の征夷大将軍)なのだ。
おそらく、パッと見てわかる人はいないだろう。
田村麻呂が京都清水寺に現れ、鬼を退治した伝説をもとにしているという。
平安初期に蝦夷(えみし)征討に向かった将軍のイメージとはだいぶ違う。

次のも、説明を聞いて「へ〜、そうだったんだ」と思った標題。

Yama270

土居流「和心生大道(わしんだいどうをしょうずる)」
冠が中国皇帝のような感じなので、孔子かしら? と。
いえ、この人は聖徳太子。

聖徳太子といえば、昔のお札や教科書の肖像画が有名だ。それとは冠や衣裳が異なる。

有名な肖像画のほうでは地味すぎるんじゃないか? というのもあるかもしれないが、聖徳太子像として中国風の描き方をするのはまんざら間違いではないと思う。

その時代は中国・朝鮮の影響が強かったし、標題の「和心生大道」は十七条の憲法「和を以て貴しと為す」から採っているが、その源流は孔子の論語「有子曰 禮之用和爲貴」と言われるからだ。

※十七条の憲法は聖徳太子(厩戸皇子)の時代でなく、日本書紀制作時(奈良時代、720年)の創作だという説もある

Yama269

土居流の見送り。「南無佛」の文字が金色に輝いている(佛=仏)。

儒教と仏教、中国の政治・文化の影響を受け、律令官制へ始動した時代。聖徳太子像の背景にはそうしたものがあっただろうから、妙に日本を強調する聖徳太子(「日出処天子」に依拠)よりも実像に近いんじゃないかな。

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2009.07.16

博多祇園山笠--追い山2009(3)走る飾り山

追い山後半の楽しみは、走る飾り山・上川端通の山を見ること!
大博通り、東長寺方面へ急ぐ。

上川端通の山が見えた。

Oiyama412

表の標題は酒呑童子。後でテレビ放映を見たら、口からシューシューと煙(ドライアイス)を吐いていた。

頂上にすっくと伸びた竿と旗。この大きさ、このカタチは江戸時代の山笠の姿を伝えるものだ(江戸時代には高い飾り山をそのまま舁いた。明治になって電線が張られるようになり、舁き山の高さが制限されたのだ)。

江戸時代の山笠の絵図がある。

→「筑前名所図会 巻二 山笠櫛田入の図」(九州大学デジタルアーカイブ)

文政4年(1821)、奥村玉蘭が描いた絵図。

人や櫛田神社の鳥居・門と比べて、山笠がとても高いのがわかる。
よく見ると、台上がりの人は法被のような衣服を着けているが、舁き手は上半身裸で締め込み一丁だ。それにしても山の豪華なこと!

※余談:鳥居の前に僧侶が並んでいる。江戸時代は神仏習合で、櫛田神社の管理者は東長寺。同寺の住職が神官を兼ねていたそうである。今でも東長寺・承天寺に献納するように、神社の前で住職に拝礼していたのではないだろうか。

Oiyama414

白い旗がたなびいて、江戸時代の絵と同じですねー。

見送りは「助六由縁江戸桜」。三浦屋の揚巻があでやか。

Oiyama418

…と、旗が中に収納された。この後、上段にいる「髭の意休」まで内部に入ってしまい、全体の高さが低くなる。

上川端通の山はこのような仕掛けも楽しい。仕掛けのために重量が増えて、通常の舁き山の2倍、いや3倍ほどの重さになるというのだが、舁き手たちは懸命に舁いてくれた。

Oiyama422

上川端通商店街に帰ってきた山。

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博多祇園山笠--追い山2009(2)大博通り

大博通りを行く山笠。土居流の紺を基調にした法被。

Oiyama395

大博通りは博多のメインストリートで、博多駅から博多港へ延びる一直線の広い道。

江戸時代には「呉服町流(ごふくまちながれ)」と呼ばれていた。

博多祇園山笠の「流」は、もともと豊臣秀吉がつくらせた町割の呼称。江戸時代に祇園山笠の祭りができ、町(流)ごとに山笠を組織・運営した。名称や区域はいろいろと変わりながらも、流は継承されて今に至っている。

追い山コース中、一直線に長く続くのが東町筋、大博通り、西町筋の3つ。

大博通りは東町筋、西町筋と違って幅が広いので、走る人たちは横に広がってわーっとやってくる。これは壮観だなあ。

Oiyama398

六番山笠、土居流。

Oiyama407

七番山笠、大黒流。全コースを走る山は七番が最後。

空はすっかり明るくなっている。

一番山の東流はもう廻り止め(ゴール)に着いているころか。

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2009.07.15

博多祇園山笠--追い山2009(1)

15日未明、山笠本番の追い山。

旧・東町筋の坂の途中で。
Oiyama371

西流。今年は西流の山をよく見る。
ピントが……(薄暗い&デジカメ設定失敗(^^;))
雰囲気は出ていると思うけど。

Oiyama379

千代流。

旧東町筋、西町筋の狭い通りを山が走る場面が好き。
古い町並みが残っていて、100年前、200年前の山笠もこんな感じだったんだろうなと。

博多の町は全体に平坦だけれど、少しは坂道がある。

聖福寺(写真では左のほうにある)からの下り坂、このあたりは鎌倉・室町時代には入江だったことが博多古図からうかがえる。

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博多祇園山笠--流れ舁き・櫛田神社

14日夕方、流れ舁(か)きを見に櫛田神社に行く。

これまでは恵比須流の流れ舁きを見ていたのだけど(2008年の恵比須流・流れ舁きをマイフォトに入れました)、今年は西流・土居流を見ることにした。
両流は櫛田神社の地元なので、「櫛田入り」を流れ舁きでもするのだ。
※流れ舁きは各流の町内を舁く。14日夕刻の流れ舁きは本番・追い山の直前練習の意味もある。

櫛田神社の清道の旗。
山はみんなここを廻って博多の町なかに繰り出す。
Nagare321

境内の観覧席には人がぼちぼち座っていた。
本番の追い山を観覧席から見るのは有料で、チケットは発売日に完売!
だけど本日の流れ舁き観覧は無料。全部の山ではないけれど、舁き山が清道を廻るのを見られるので、この日に見物する手もいいんでないかい?

山がやって来た!

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はじめに来たのは土居流。

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清道を廻る。
今頃気づいたのだが、清道の廻り方は右廻りなのか。
陸上競技やスピードスケートは左廻り。西洋と東洋(日本)の何かの違いがあるのかもしれない。

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舁き山の軌跡。綺麗なカーブを描いている。

このあと、西流。
Nagare333

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先走りの人たちも清道を廻る。
この光景を見るのは初めてかな。

続いて、西流の山。

Nagare337

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そして山は右に向きを変え、道を進む。

追い山も同じように走っていく。その時は沿道に人がびっしりだけれど。

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博多祇園山笠--集団山見せ2009(2)

13日、集団山見せ。

出発前の山を撮す。

千代流、「愛」の兜

Yamamise286

これも「愛」、恵比須流
Yamamise287

恵比須流の見送り。「愛」の文字が大きく輝く。
(地下鉄入口より撮影)

Yamamise289

集団山見せは出発の前に各流の標題を説明してくれる。

ドラマの主人公でない、ちょっと難しい標題だと、説明を聞いてやっとわかるものも。

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2009.07.14

博多祇園山笠--集団山見せ2009

13日の集団山見せ。

ソフトバンクホークスの王さんが台上がりしたので、いつにも増して人が集まっていた気がする。
あちこちから「王さ〜ん」の声。今はホークスの調子が良いし、王さんも気分良く山に上がれたのでは。

Yamamise279

誰だか分からない写真になってしまったが…
左側の方が王さん。
近くで撮影したければ、早い時間から待っていないとダメだね。

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2009.07.13

博多祇園山笠--追い山ならし(4)

追い山ならしで見た「かわいい!」二題

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オイサ!オイサ!…の声も夢の中

Oiyama58

山笠犬(けん)、法被も手拭いもちゃんとつけとるけん。

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博多祇園山笠--追い山ならし2009(3)(追記あり)

千代流が通ってから、なかなか次の流が来ない。
どうも事故があったようだ。
千代流が櫛田神社に入るとき、カーブを曲がりきれずに舁き手の一人が街灯(?)かなにかに激突したとか…。
その千代流はさっき通ったのだけど、救急車が来たりして次の山の出発まで数十分間中断していたそうだ。

こういう祭りなので、事故・けが人は 毎年のように 時にはあるらしい。死亡事故は近年聞いたことがないが。(7月14日追記:「毎年のように」は知人(地元の人)に聞いた話ではありますが、根拠が薄いので訂正します。「毎年大けがをする人が出る」わけではありません)

私は見物場所を移動し、西町筋に行った。
追い山は博多の町を南北方向に行ったり来たりする。だから見物は東西を横切って移動すると、何回も走る山を見ることができて良いのじゃないかな。

…さて、五番山笠の恵比須流が来た。

Oiyama44_2

「神光照天地(じんこうてんちをてらす)」

六番山笠は土居流。

Oiyama46

Oiyama48

「和心生大道(わしんだいどうをしょうずる)」

標題は「和心」だけど、人形は中国風装束。

最後は七番山笠の大黒流。

Oiyama51

「信為萬事本(しんはばんじのほんとなす)」

追い山ならしは西町筋を通って博多小学校の横まで行ったら終わり。本番の追い山(15日未明)はさらに1kmほど西方向へ走る。

走り終えた山はそれぞれ地元に戻るのだが、同じように山を舁き、みんな走っていくので、それを見るのも楽しい。博多の区域外にある千代流などは相当長い距離を走ることになる(13日の集団山見せは天神の市役所まで行くから、帰りはさらに遠い)。

Oiyama55

西町に戻る西流。水しぶきを浴びて。

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博多祇園山笠--追い山ならし2009(2)

三番山笠、西流(ながれ)。

Oiyama34

山の前を走る人たち(「先走り」という)、板を持つ流と旗を持つ流とがある。
西流は板だけかな。

Oiyama35

標題「児雷也(じらいや)」
標題を見るまで、石川五右衛門かと思った(^^)

四番、千代流。

Oiyama37

ここは旗がカラフル。人数が多いのも千代流の特徴。
Oiyama39_2

「好漢徹忠義(こうかんちゅうぎをつらぬく)」
出ましたね、「愛」の兜。
千代流は飾り山も「天地人」。
人形が非常に鮮やかで、今年の舁き山でもかなり目立つのではないかと。
走る「愛」の武将、お見逃しなく〜。

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博多祇園山笠--追い山ならし2009(1)

7月12日、追い山ならし。

まずは、追い山コースの最も東側、東筋の坂で山が来るのを待った。
(イタリアンの店「Uno」の前)

一番山、東流(ながれ)が来ましたよ。
(写真はクリックで拡大)
Oiyama26
子どもたちは青い鉢巻きで運動会みたい。

Oiyama27

標題「千手乃光照丈夫(せんじゅのひかりはもののふをてらす)」

二番山、中洲流。

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「伏邪一寸魂(ふくじゃいっすんのたましい)」

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2009.07.12

博多祇園山笠--キャナルシティ(訂正あり)

キャナルシティ博多の飾り山。

Yama221

歌舞伎でお馴染み、「助六由縁江戸桜」

見送りは「昔噺花咲爺」
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ランタンふうに灯りを入れているので夜見ると綺麗。
いちばん上にポチがいるのよ。

Yama219

正直爺さんが枯れ木に花を咲かせている。
左のお姉さんは…昔噺に出てきたっけ?

朝日新聞に今年の飾り山一覧が出ていた。
標題を時代・ジャンル分けすると

・戦国武将 … 7(その内、天地人が4。愛は強し(^^))
・源平 … 5
・古代 … 3
・江戸時代 … 4
・平安時代 … 1
・南北朝時代 … 1
・昔噺系 … 2
・アニメ … 2
・野球 … 1(ドーム球場前の定番)
・現代 … 2(武田鉄矢の「母に捧げるバラード」と華丸大吉)

(全14箇所。実際に見ていない山もあるのでジャンルが違うのがあるかもです)
7月13日訂正:戦国だと思った標題に南北朝時代があった

古代史ファンの私としては、倭建命(ヤマトタケルノミコト)なんかが出ていると嬉しいわけですが。
いつか応神天皇も作ってほしい…箱崎宮の祭神であるし。

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2009.07.10

博多祇園山笠--子ども山笠

千代流(ながれ)の子供山笠。
ゆめタウン博多1Fに展示。
Yama204

恵比寿さんですね〜。

千代の子どもたちが通う千代小学校の隣に、十日恵比寿神社があるから。
ショッピングセンターに置いてあるのも丁度良いかと(商売繁盛祈願)。

子供山笠をやるのは千代小学校と博多小学校だけ。

流(ながれ)の区域内にある小学校はこの2つ。10年以上前はもっとあったのだが、少子化と博多都心部の人口減少は顕著だ。

参照:「博多の子どもたち--奈良屋小の児童数」「奈良屋小学校・前史

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見送り(反対側)。鯛がすごくデカイ。

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2009.07.07

博多祇園山笠--飾り山(千代)(2)

千代流ながれの飾り山、反対側(見送り)は…
平家物語の題材だった。

Yama211_1

「筑前今様(いまよう)想夫恋(そうふれん)」

有名な「小督(こごう)」の話。

平家物語で平清盛は完全な悪役で、小督(琴の名手の美女)にイケズして宮中から追い出してしまう。

上の写真、赤い着物で強欲オヤジな顔をしているのが清盛。

しかし、博多は清盛と縁浅からず、清盛は日宋貿易に力を入れて博多港を整備したのである。中世博多の繁栄は、清盛ら平氏一門の開発政策から始まったと言えるのではないか。

だから清盛をそんなに悪人にしなくたって、ねぇ。

平家物語をベースにしているなら仕方ないか。「新・平家物語」を大河ドラマでやった年だったら、仲代達矢よろしく格好良い清盛になったかと思う。

「新・平家物語」とは別に、近年、平氏政権の評価が高まっているという話も聞く。

Yama209

平安時代に流行った「今様」が九州に伝わって筑前今様になり、のちのち、黒田節(酒は飲め飲め…という)に変化したとか。

小督の想夫恋(恋い想われているのは高倉天皇)の話自体は博多と関係ないのだけれど、周辺情報が博多に縁がある題材なのでした。

筑前今様にもあるという想夫恋の歌:

峰の嵐か 松風か たずぬる人の琴の音(ね)か つま音高き 想夫恋

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2009.07.06

博多祇園山笠--飾り山(千代)

2009年の博多祇園山笠。

やはり「天地人」が人気(^^)

Yama206

四番山笠・千代流(ながれ)の飾り山。
(地下鉄「千代県庁口」駅すぐ上)

Yama205

「天地人」の直江兼続が「愛」をかかげて。

後ろに見えるのは徳川家康。奥には上杉謙信。

Yama212

この飾り山は直江兼続と徳川家康の攻防、上杉方を救った前田慶次郎の勇姿を表したもの。

今年は舁き山にも直江兼続か上杉の誰かが出てくる予感。

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