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2009.08.04

かけ算の順序問題・日常言語と数学・算数

3 × 4 を「3 かける 4」と読む。
3が「かけられる数」で、4が「かける数」である。

この読み方・解釈は少なくとも江戸時代には出現していたらしい。
(参照:「メタメタの日:英語の掛け算の歴史についての仮説」)

そして現在でも日本の小学校ではこのように教えている。

しかし、

3 × 4 を「3 かける 4」と読むのは良いとして、

3が「かけられる数」で、4が「かける数」

3の4倍

この解釈は必然性がないのではないだろうか(そう解釈しても良いが、それがすべてではない)。

4を3倍する

でも構わないのでは?

「順序こだわり教師」のブログには、

「×3」を「3倍」という言葉で表すと、やはり「2の3倍」の方が「3倍の2」というより自然な感じがしませんか。

「いつでも『いっぱいいっぱい。』続・小学校教師のキモチ」のコメント欄より引用)

と書いてあったが、「×」 を 「の〜倍」と読まなくてはならないきまりなんて、ないではないのかい?

あるいはこういう教師もいる。

3人が8個で……という日常会話は,ありえないよね(笑)
(中略)
8個が3人分で24個と言葉で表す。

(「ぱわぁあっぷ blog:初任者からの質問メール」より引用)

4×100mリレーという日常会話は、あり得るよね(競泳・陸上のTV中継でも見ていれば)。

やや古風だが「8掛け(はちがけ)」という言い方がある。0.8を掛けるという意味である(8は8割の意)。

語順通りに記号に置き換えたら「8×」(0.8×)

×が後に来るではないか。

ならば 3×4を「4に3をかける」と考えても良いと思うのだが。

日本語では「〜に」と「○を」は交換可能である。

あなたに手紙を書く

手紙をあなたに書く

どちらもおかしくない。

ならば、3 × 4は「3に4をかける」「3を4にかける」どちらでも良いのでは。

…と書いてきたけれど、そもそも、日常言語の感覚で算数・数学を解釈するのが間違いではないかと思う。数学は日常言語とは別の言語なんだから。

「日本語の言い方で、〜〜って、おかしいから、この順番はおかしいんだよ」式の説明は数学(算数)を教えていることにならないと思う。

「日本語の言い方で、これです一つの本、って、おかしいから、This is a book.はおかしいんだよ」と言うようなもので。

【ヘンなおまけ】

3 × 4 を「3かける(少し間をおいて)4」と5回繰り返してみよう。

あら不思議、4 に 3 をかけるイメージが湧いてきたであろう(え?

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コメント

「掛ける」ってなんでいうんでしょうねえ。そもそも。
「足す」、「加える」は日常語とイメージがあう。「引く」は、個数の場合、あんまり「減らす」とは言わないけど、子どもにおはじきの数を数えさせるときに、「おはじきを減らす」操作をしてみせることはありそう。

「掛ける」の場合の日常的なイメージは、ハンガーにコートを「掛ける」ような動作。
「割る」ほうが、一つのクッキーを割って2個にすることができる。
「倍する」というのは日常語といっても抽象的だし。

そもそも、掛けると言う言葉から、もう日常からはなれているんじゃあないでしょうか。

投稿: kuroneko | 2009.08.08 10時41分

3人分の冷やし中華が8個で、と言う言い方がありますから、「3人が8個で……という日常会話は,ありえないよね」というからには、「8個が3人分で24個と言葉で表す。」ではなく「8個が3人で24個と言葉で表す。」と言うほうがいいんじゃないかなあ。

投稿: kuroneko | 2009.08.08 10時48分

kuronekoさん こんにちは。

>そもそも、掛けると言う言葉から、もう日常からはなれているんじゃあないでしょうか。<

そうですねー。
どうせ日常語から離れているなら、いっそのこと「×」を「積(せき)」と読んで、「3積4」と小学生から言ってしまってもいいんじゃないかとか考えたりします。

エントリで紹介した「メタメタの日」メタメタ7さんのブログ
http://ameblo.jp/metameta7/entry-10204149557.html#main
等で計算の歴史が考察されていますが、面白かったので読んでみてください。

投稿: kiriko | 2009.08.08 15時47分

「かけられる数」って、日常語としても違和感があります。

動詞の連体形+名詞 としたときに、名詞が動詞とどのような関わりがあるかは、様々。

「食べる物」 なら 「物」は「食べる対象」
「食べる人」 なら 「人」は「食べる」の意味上の主語。

受け身だからといってわざわざ「れる・られる」の連体形を使うことはない。

「食べられる物」の「られる」は、普通は受け身ではなく、可能である。


「私は壁に絵を掛ける」

掛ける人:誰も掛けたがらなくて、「だれか、掛ける人いない?」

掛ける場所:壁のあっちこっちに既に色々貼ってあって「どこかに掛ける場所あるかな?」

掛ける絵:ここに絵があったら見栄えするな。掛ける絵をそのうち買ってこよう。

つまり、「Aは、Bに、Cを掛ける」において、
掛けるA 掛けるB 掛けるC いずれの言い方も出来る。

日常言語と数学言語はそもそも違うのだけど、「かける数・かけられる数」は、数学的にも無意味な上にわかりづらいし、日本語的にもおかしい。

誰がこんな事考えたのだろう?

ちなみに、割り算の包分除と等分除はかけ算の順序の裏返しで、かけ算の順序に本質的な意味がないように、包分除と等分除の区別も原理的には無意味。

20個のおはじきを4等分するには、4ヶ所にまず1個ずつ置くと16個になる。次に、2個目を置いて、

とすれば、20の中に4がいくつあるか、という包分除になる。

投稿: 積分定数 | 2009.08.17 23時38分

>受け身だからといってわざわざ「れる・られる」の連体形を使うことはない。

本多勝一の本で「殺される側の論理」というのがある。「受け身の連体形+名詞」が全くないわけではない。


日常言語と算数・数学は無関係ではないが、分けて考えるべきだと思う。

算数の授業で、「正方形は長方形ではない」と教える教師がいるようで、困った物です。

もちろん、日常言語での「長方形」は、正方形を除外するのが普通だが。

投稿: 積分定数 | 2009.08.18 10時35分

>積分定数さん

「かける数」「かけられる数」は、かけ算の意味を理解するための便宜的な言葉として使われ始めたと思うのですが、本当に必要なのかな?という気がしています。

〈1あたりの数量×いくつ分〉をイメージできるのは大事だと私は思いますけど(〈いくつ分×1あたりの数量〉でも構わない)、「かけられる数」という言葉でわかりやすくなるのか。たいして効果が無いか、子どもによってはかえってわかりづらいかもしれないと思います。

投稿: kiriko | 2009.08.20 14時15分

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