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2009.12.18

「ブラタモリ」横浜中華街45度の謎

古地図で町歩きの「ブラタモリ」(NHK総合)がレギュラー番組になって喜んでおります(^^)

昨日は「横浜の巻」。
中華街の道路の向きが周辺と約45度ズレている。

なんでだろう?
と私も思っていた。

その謎を解くには、横浜開港の頃--幕末までさかのぼる。

当時の横浜は、江戸湾に細長く出っ張った、文字通り「横に長い浜」の村だった。
この横長の浜に港を開き、貿易施設や外国人居留地を作ったのである。
※神奈川の端っこにある小さな横浜村を港にしたのは、日本人とのトラブルを避けるためだったそうだ。「攘夷!」を叫ぶ血気盛んな人もいたからねぇ…。

横浜には西洋人だけでなく中国人も大勢やってきた。日本で貿易をしたかった西洋人は清国から来た人が多く、言葉や商習慣の違う日本人を相手にするには中国人の仲介が重宝したのだ。中国人は日本人より先に西洋人に触れており、一方で日本の文化や習慣にもある程度通じている。日本語はわからなくても漢字を書けば意思疎通ができたから。
また、中国人独自で貿易に来た人も増えたのだろう。
やがて居留地の一角に中国関係の店や施設ができた。
その場所は、「横浜新田」と呼ばれる、浜がちょいと湾曲した地帯だった。
浜の方向に沿って道路を作ったものだから、他地域とは方向が合っていなかった。

「ブラタモリ」では浜に沿って埋め立てを行い、道路を作ったと説明されていた。
一説では、横浜新田のあぜ道をそのまま使ったためだと言う。
いずれにしても、かなり急いで町を作ったことが伺える。都市計画を考える時間もなかったんだろうね。

平城京・平安京にしろ城下町にしろ、町の建設には道をどう作るかの思想があるわけだが、幕末からの急激な変化の舞台にたまたまなってしまった小さな村(横浜)にはそんな余裕がなく、まずは人・モノがあふれるように行き交って「都市」の仲間入りをしたようである。

※開港前〜開港後の横浜の地形がわかるサイトはこちら→「目から鱗 街道を歩く13 神奈川宿と横浜3
開港前(幕末)の地図を見ると、今の横浜市の中心部、ほとんど海の中ですねえ。

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「地域・歴史」カテゴリの記事

コメント

中華街に行くには関内駅で降ります。昔は中国人居留区で関所みたいな物があったそうです。私が子供の頃は南京街と言っていました。
小学4年の時に横浜市の歴史を習いました。釣鐘状の地形を、伊勢と佐々木と云う名前の人が工事に貢献したので「伊勢佐木町」と名付けたそうです。
横浜市歌は横浜の歴史を歌詞にしてあって、子供には難しいけど大人になると理解出来ます。

投稿: 後藤 | 2010.01.04 00時19分

後藤さん コメントありがとうございます。

中華街へは一度しか行ったことがなく、横浜のことはあまり知りませんが、調べてみると近代以降の歴史が凝縮されている感じがしますね。

>釣鐘状の地形を、伊勢と佐々木と云う名前の人が工事に貢献したので「伊勢佐木町」と名付けたそうです。<

あ〜、そうだったんですか。福岡の「渡辺通り」みたいなのですね(^^) 昔はそういう事例が結構あったのでしょう。

投稿: kiriko | 2010.01.05 18時19分

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