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2010.08.25

これはヒドイたとえ話だ--ミネラルウォーターと保育園(鈴木亘)

私は子ども手当にこだわっているが、けっして「現金支給(手当)だけやればよい」と思っているのではない。
現物サービス(保育所増設・整備 等)も必要だと思っている。
子ども手当と保育所整備を対立させて、二者択一のようにする構図がおかしいんじゃないかと思っている。

…と、そこに、気になる論が目に入ってきた。

「ミネラルウォーターと保育園 鈴木亘」

鈴木亘氏(学習院大学経済学部教授)は、保育園(主に認可保育所のこと)をミネラルウォーターにたとえて、こう述べる。


120円のペットボトルのミネラルウォーターがあります。
(中略)
わたしはこのミネラルウォーターを120円で買えることに心から満足をしておりますし、他の人びともやはり満足して買ったに違いありません。
(中略)
一方、この水を売っている企業も、やはり、利潤を上げて満足しているに違いません。
これがわれわれの生きている資本主義経済、もしくは市場経済というものであり、水の需要者(消費者)と供給者(販売企業)がともに、市場によるこの取引によって利益を上げて、効率的に社会が運営されています。
ところが、ここで与党の政治家達が、「たかが水に120円もの高い価格をつけるとはケシカラン。低所得者にとって120円は高すぎるではないか。水は生活にとって必需品であるし、低所得者等が安心して購入できるためにも、ペットボトルの水は10円にすべきである」と主張して、ミネラルウォーターの価格を低く固定する「価格統制策」を実施したとしましょう。

…以下、鈴木氏は、このペットボトル(ミネラルウォーター)に政府が規制をかけ、価格統制し、税金を投入することの「愚」を説くのだ。
そして、こう言う。

元の市場価格に戻して、その後につくった法律(割当の要件、参入規制)を廃止することに尽きます。
つまり、市場メカニズムが機能するように、もとに戻して自由競争をさせることこそが最善の道なのです。ペットボトルの水の話ですと、本当にこの処方箋はご納得いただけると思います。


あのー、ちょっと待って。

この「たとえ話」、事実誤認に基づいているのだけど。


元の市場価格に戻して
もとに戻して自由競争をさせる

認可保育所の「元の市場価格」「もとに戻した自由競争」って、なんなの?
認可保育所が「自由競争した時代」って、いつの話?
大正時代? 戦後まもなく? 高度経済成長時代? バブル時代?

認可保育所が、政府の規制もなく、税金投入もなく、自由競争していた時代 なんて、いったい、いつあったというの?

保育所の源流は、大正時代、都市部に設立された「低所得労働者のための保育所」である。
当時、上流・中流階層は、幼児を幼稚園に行かせるか、または、子守、女中、家庭教師を雇うことが可能だった。しかし、低所得労働者にそんな経済力はなく、また、母親が専業主婦になる余裕もなかった。彼らの生活向上のため、行政が保育所(託児所)を作った。太平洋戦争の前、保育所は厚生省管轄となった。低賃金労働者の子どもを預かるのだから、当然、保育の料金は安いものとなる。

戦後、児童福祉法に基づき、「保育に欠ける子ども」を預かる福祉施設として、認可保育所が設立された。主たる対象者は、低所得労働者であり、戦争で夫を亡くし、母親が労働に従事せねばならない母子家庭であろう。
保育所はスタート時には低所得の労働者を主な対象にした福祉施設であったし、行政が作ったものだった。

その後、産業構造の転換や家族構造の変化があり、女性の就業が増えて、保育所利用者には中・高所得者も多くなった。
けれど、中・高所得者だって、趣味や贅沢で保育所に預けているのではない。仕事(=生活)のために保育所が必要なことに変わりはないのだ。

このような保育所を「ミネラルウォーター」という嗜好品(水道水はあるが、もっとおいしい水を飲みたいから購入する)にたとえる鈴木氏のセンスは、あまりにズレまくり、というほかない(無いと困る水道水にたとえるならともかく)。

■保育所は嗜好品だと考える人の保育政策提言ってどうよ

鈴木亘教授にとって、「保育所は嗜好品」なのね。
家ではちゃんと水道水が使えるし、安全性も供給量も確保されてるけれど、「おいしい水を飲みたいから」わざわざミネラルウォーターを購入する。現在の保育所はそういうもんだと鈴木教授は認識しているわけだ。

今、主に大都市部では保育所が足りず待機児童が大勢いる。
待機児童の親たちは「人気のスイーツ買いたい!とお店の前で行列つくってる」のと同じって言ってるんだね(人気のスイーツでもipadでもヨン様に会えるツアーチケットでもいいけど)。

…考えてみれば、鈴木教授のような考え方は、これまでの、ある人々の「保育所観」と同じかもしれない。
「家で母親が世話してりゃいいものを、わざわざ保育所に預けて母親が働くという“趣味・贅沢”をやっている(低所得や母子家庭の人は例外だからしょうがないけどさ)」と。
してみると、


元の市場価格に戻して
もとに戻して自由競争をさせる

とは、「三歳までは母親が家庭で育てるべきという考え方」に「戻して」ってことなのかも。
こういう考え方が若い世代に支持されるとしたら…頭が痛い。

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