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2011.07.16

もし南方仁先生が幕末の博多を通りかかったら

こういう風景を目にしたかもしれん…

Oiyama920_b


仁先生は長崎まで行ってたりするから、途中、博多に寄ってもおかしくはない。

仁「この町はずいぶん賑やかですね」
宿屋のあるじ「今、山笠のありよるけんですね」
仁「山笠…、ああ、テレビで見たことがあったかな」
あるじ「は…?」
仁「あ、いや、絵を見たんです。でも、もっと低いのだった気が。こんな大きなのをみんな担いでるんですか」
あるじ「どこの流もこげな山ば舁きよります。もっと低いって、そらあ、江戸の絵師がいたらんこと描いたとでしょ」
仁「そう…かも(笑)」

博多山笠も、元祖祇園祭も、もとは疫病退散の祈願だったので、医師の仁先生は疫病に苦しみ神に祈った人々に思いを馳せたであろうと。

江戸時代の山笠が今の飾り山なみの高さの山を舁いたのは事実。絵にも描かれている。
→参照:「中洲観光協会・中洲町連合会-博多祇園山笠:江戸時代の絵
絵が江戸に出回ったかどうかは定かではありません。

舁き山が低くなったのは、明治後期。路面電車開通などで電線が張られ、山が引っかかるからだった。
現在は路面電車は廃止されて地下鉄になり、電線の地中化が進んでいるので、高さを抑える理由がなくなってきた。しかし、人々は舁き山のスピードに馴れているし、舁き山と飾り山の分担体制でいくんだろうね。

唯一、上川端の「走る飾り山」が、江戸〜明治中期の山笠を彷彿とさせる。
ただ、周りの景色はまったく変わってしまった。
上の写真のオリジナル(実風景)は↓これです。

Oiyama920_a


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