鉄道

2009.05.23

博多から筑豊へ鉄道で行く(4)--平成筑豊鉄道

博多から筑豊へ。
福北ゆたか線(篠栗線・筑豊本線)の直方で平成筑豊鉄道に乗り替え。

平成筑豊鉄道は、国鉄・JRの伊田線・糸田線・田川線が分離されて第三セクターになった鉄道である。

奇しくも、新会社の社名決定日は「昭和最後の日」だった(これはまったくの偶然)。公募で社名候補が挙がっていたが、昭和が終わり「平成」の元号が発表されたため、「平成」の名を冠したとのこと。

Heichiku2126

1両編成のワンマン列車。バスのように整理券を発行する。(写真:オレンジ色の箱が整理券発券機)
青・緑・水色・黄色の車体は「なのはな号」のネーミングがされていた。

昔、石炭を満載したSLがこの路線を行き交っていたのだなぁ(なので、ローカル線なのに複線、ちょっと離れた場所にももう一つ路線、と、都会並みの贅沢設計)。

今はその頃とは光景がすっかり変わって、沿線の人たちの生活路線になっていた。

Heichiku2008

つり革にくっついている「ちくまる君」。平成筑豊鉄道のマスコットキャラクター。両手に持っているのはミニ広告…というより、応援メッセージだわ。地元の企業などから募っているらしい。

アナウンスされる駅名に、いやに長いのがある。「ふじ湯の里・日王の湯温泉・金田」とか「大阪サンニュース・中泉」とか(福岡県なのに大阪かい?と一瞬アレレと思う。ついでに、福岡県なのに“カナダ”--金田はカナダと読みます)。

駅に副名をつけるネーミングライツなのだ。時刻表や切符に書かれるのは正式名の「金田」「中泉」だけれど、駅看板と放送に企業・団体の名前を入れて収入を得る。

調べてみたら、平成筑豊鉄道はこの他にも枕木オーナー、小口の駅広告・車内広告…、こまめに広告営業をやっているんだね。駅と車内の広告料金は最小で105円や210円からあって、これは個人でも出しやすい(^^)

それというのも、この鉄道会社の出資者は福岡県と沿線自治体が主。地元の足だから地元で支えていこうという努力と工夫が重ねられているのだ。

…が、もともと乗降客の少ない赤字路線だから三セク化されたわけで、経営の苦しさは他の三セク鉄道と同じ。そして少子化・高齢化・人口減少が進行し、当初は黒字だった平成筑豊鉄道も近年は赤字に苦しんでいるという。
赤字は自治体が補填することになるが、これまた昨今の大不況で自治体も大変なところ。

地方の鉄道は、高度成長時代や国が丸抱えの時代でないとやっていけないものなんだろうか。
高齢化社会だからこそ、公共交通が大事なんだけれどねぇ。

Heichiku2125

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2009.05.19

博多から筑豊へ鉄道で行く(3)--篠栗線

博多から筑豊へ。
まずは福北ゆたか線に乗る。

「福北ゆたか線」とは篠栗線のこと。
福岡の「福」、北九州の「北」、筑豊の「豊」で「福北ゆたか」という言いにくいネーミングになったみたい。でも、これだと、実際どこへ行くのだか(どこを通るのだか)わからないのよね。

正式には

・博多--吉塚:鹿児島本線
・吉塚--桂川(けいせん):篠栗線
・桂川--折尾:筑豊本線
・折尾--黒崎:鹿児島本線

を通る複合運行系統の通称らしい。東京の埼京線みたいなものか。

篠栗線は篠栗線と言ってもらったほうがわかりいいと思うのだけど。

篠栗は九州のお遍路(八十八ヶ所霊場)で有名な所。弘法大師空海が唐から帰国し、この地方を廻ったと伝えられている。
なので、篠栗線に乗ると沿線にたくさんお寺を見ることができる。

Sasaguri006

「城戸南蔵院前」駅。
この近くの南蔵院は篠栗八十八ヶ所の一番札所。大きな涅槃像があるとか。
ホームは新緑に包まれ、景色も良さそう。

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2009.05.17

博多から筑豊へ鉄道で行く(2)

博多から糸田へ鉄道で行く。
地図や路線図を見ると、どう行くのが良いか、しばし迷う。

鉄道がトライアングルになっているからだ(^^)

Chikuho_r_3

↑筑豊地方鉄道路線概要。緑色の路線が第三セクターの平成筑豊鉄道。他はJR九州。

糸田はびみょ〜な位置にあるなぁ。
直方経由でも、田川後藤寺経由でも行けるけれど…。
で、こういうときこそネット検索、乗り換え案内。
当日の電車時刻、運賃もわかるし。

博多→糸田は、直方経由でも田川後藤寺経由でも乗り換えしやすいようだ。
距離は田川後藤寺経由のほうがやや短い(運賃もちょい安い)。
ただ、大都市圏と違って運行本数が少ないから、常に田川後藤寺経由が早く行けるわけではない。

筑豊地方の鉄道路線図を見ていると、国鉄時代の“鉄道銀座”の名残かなあ、という気がしてくる(○○銀座って死語?)。

主要な駅の名が「新飯塚」「田川伊田」「田川後藤寺」なのも面白い。それぞれ飯塚市、田川市の中心駅なので、普通は飯塚駅、田川駅になるはずだが…。地元以外の人にはわかりにくいところだ。

新飯塚駅の隣に「飯塚駅」があるのに、新飯塚駅のほうが大きく、市中心部にも近いらしい。
そうなった経緯には炭坑の盛衰が背景にあると思うが、後でまた調べてみたい。
ちなみに麻生首相の邸宅は新飯塚駅に近いとのこと。

「田川駅」というのは存在しない。田川市は伊田町と後藤寺町が合併してできた市で、駅ができたのは合併以前のことだった。合併後に「田川」を駅名につけて「田川伊田」「田川後藤寺」にした。「田川市なんだから、田川駅があるべきだ」との声が出たが、どちらが田川駅になるかをめぐって決着がつかず、今に至っているそうである。

私が「筑豊の鉄道はわかりづらい」と感じるのは、このような駅名事情のせいもあるのかな。

路線図を見ると、「金田」からは、

「田川伊田」行き:平成筑豊鉄道伊田線(旧国鉄伊田線)
「田川後藤寺」行き:平成筑豊鉄道糸田線(旧国鉄糸田線)

の2路線がある。どちらも田川市に行くわけで、田川伊田駅、田川後藤寺駅はお隣で2kmくらいしか離れていない。

大都市圏以外で、こんな近い所に路線が並行して走るのは近頃では考えられないのではないだろうか。炭坑と鉄道が主力の時代だったからこその路線だと思う。

今の両路線は三セクの小さなワンマン電車だが、「近い所に2路線あるのはムダだからどっちか廃線」なんて考えないで、どちらも存続してほしいなあ。

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2009.05.14

博多から筑豊へ鉄道で行く(1)

今年、糸田へは鉄道で行った。
福岡に住んでいながら、筑豊地域へ鉄道で行ったことがほとんどなかった。

筑豊の鉄道…
国鉄時代は筑豊本線ほかたくさんの路線が張り巡らされていて、鉄道マニアでさえこの地域を乗り回すのは大変だったらしい。
炭坑から石炭を運ぶためにあちこちに路線を延ばし、筑豊本線は複々線という盛況ぶり。
分割民営化の前後、いくつかの路線は第三セクターになり、いくつかは廃線になった。

【メモ】

筑豊の国鉄:廃止路線
■室木線(遠賀川--室木)
■香月線(中間--香月)
■宮田線(勝野--筑前宮田)
■添田線(香春--添田)
■上山田線(飯塚--豊前川崎)
■漆生線(下鴨生--下山田)
■勝田線(吉塚--筑前勝田)
■幸袋線(小竹--二瀬、幸袋--伊岐須)

筑豊の国鉄:第三セクター化
■伊田線 ■糸田線 ■田川線 → 平成筑豊鉄道

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2009.01.27

福岡市地下鉄の今後(3)

以前描いた「福岡市地下鉄計画」(「福岡市地下鉄の今後(2)--あなたならどうする?」2008年2月9日)の図が少々まずかったので訂正。

Subwayplan2

訂正箇所:天神南駅から中洲川端を通り博多港に至る路線(計画(2))は2つの川を過ぎるまでR202の下を通り、キャナルシティ北で曲がって中洲川端方面に向かう。
(訂正前はもっと手前で緩やかに曲がるように描いていた)

今年になって浮上した「キャナルシティ経由博多駅」延伸案(上の案(A))は、計画(2)と途中まで同じルートがかなりある。
天神南から中洲方面に少しトンネルが掘られているらしいが、どのへんまでできているのか確かな情報が見つからない。

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2009.01.18

福岡市地下鉄、延伸にGo!…となるか?

1月17日、朝日新聞朝刊
「七隈線 天神南--博多案 検討/福岡市地下鉄 建設費450億円」
西日本新聞に解説あり。

ちょうど1年前には「七隈線延伸1600億円と試算」の記事が出ていた。
この延伸案とは当初の計画のことで、

(1)天神南から中洲川端経由、博多港へ 
(2)薬院から博多駅へ

の2ルートのこと。これをつくるには約1,600億円かかると試算されている。
今回出てきた延伸案は「天神南からキャナルシティ前を通って博多駅」のルート。

私もこれがベターではないかと思う。

※地下鉄延伸案まとめ図はこちらに→「福岡市地下鉄の今後(2)--あなたならどうする?」(2008年2月9日)

福岡市は「天神南--キャナルシティ--博多駅」延伸の建設費を450億円と試算した。当初計画の2方向延伸1,600億円(1方向あたり800億円)と比べるとかなり安上がり。

距離が短いからだそうだが、薬院--博多駅とさして違わないのに、そんなに安くなるの?(まさか、この案を通したくてバイアスかけてるんじゃないよね?)

聞くところでは、天神南駅から中洲方面に少しトンネルが掘られているという話だが…(当初、中洲川端に延伸するつもりでつくったらしい)。それをそのまま博多駅方向に延ばせるなら良いのだけど。

薬院--博多駅ルートの約半分の建設費というのはなぜなのか、もう少し情報を出してほしいところだ。

仮に天神南--博多駅ルートの費用がもっとかかるとしても、延伸はしたほうが良いと私は思う。七隈線がそこそこ採算がとれているならこれ以上の地下鉄建設をしなくていいけれど、あんな「宝の持ち腐れ」状態ではねぇ。

七隈線開業以来、「不便だから延伸しろ」→「いや、財政難で難しい」→「七隈線の客を増やさんといかん」--「乗客が増えんのは不便だからだ」→…の無限ループに陥った地下鉄計画。

このあたりでいよいよ延伸に向けて動き出すだろうか。

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2009.01.05

地下鉄の赤字

約1年前のエントリにコメントをいただき、いろいろ考えることがあったので新たにエントリを書いた。

↓1年前のエントリはこちら

福岡市地下鉄の今後(1)」(2008年1月24日・記)

コメント

>七隈線が2年続けて60億円台の赤字。他線(空港線、箱崎線)の黒字を
>食いつぶしてなお全体での赤字を出しているという現実がある。
仙台市交通局のホームページの
南北線経営状況
http://www.kotsu.city.sendai.jp/zaimu/sub/21keiei/19index.htm
の特に
●総論編【総論・収入・支払利息・減価償却費】
http://www.kotsu.city.sendai.jp/zaimu/sub/21keiei/souron.htm
この辺を読まれてから
福岡市交通局
http://subway.city.fukuoka.jp/index.html
の経営状況を調べてみてはいかがでしょうか?

投稿: poppy | 2008.12.30 22時29分

ご紹介いただいたサイトを見た。

「●総論編【総論・収入・支払利息・減価償却費】」のページ内容は、かいつまんでいうと

「地下鉄事業には多額の建設費・設備費がかかり、多くの借金をして行う。その借金の利息支払や減価償却費がかかるため、地下鉄の営業収支は始めのうちは膨大な赤字にならざるを得ない。しかし、それら(利息・減価償却費)は年を経れば減少し、営業は黒字に転換する」

ということだろう。同ページは仙台市地下鉄南北線の「赤字」を上記のように説明している。

さて、それを踏まえて私の書いたエントリを読み直すと、「赤字」の内容を検討していないために不備な書き方があることに気づいた。

さりとて、延伸せずに放っておけば毎年60億円程度の赤字(七隈線のみでは)。

吉田市長は、2年連続60億円台の赤字という結果を見て、さすがに看過できないと考えたのだろうか。こんな状態が10年続いたら600億円の赤字になってしまうから。

(「福岡市地下鉄の今後(1)」2008年1月24日 より引用)

今後も年60億円の赤字が続くだろうという書き方だった。

地下鉄事業の支出内訳で大きいのは利息支払と減価償却費なのだから、これは誤認というものだ。

上の記述は今後の赤字をオーバーに見ていたので、撤回する。

  *  *  *

しかしながら、地下鉄七隈線の経営状態が悪い、という認識に変わりはない。

4年前に開業した七隈線が赤字なのは仕方ないとして、問題は赤字の額ではないだろうか。

2005年度:67億円の赤字
2006年度:62億円の赤字

開業前の「計画」ではどうだったかというと

2005年度:31億5500万円(赤字)
2006年度:27億8900万円(赤字)

予定だったのである。両年度とも、実績では35億円前後赤字が多くなってしまっている。(数字は福岡市交通局のサイト>交通局のご案内>経営状況>財政収支計画「福岡市高速鉄道財政収支計画(3号線)」(PDF)より)

各年で35億円ほど赤字が多かったのは、「乗客数が見込みの5割以下」という実態がそのまま反映されていると思われる。

(「計画」では乗車料収入の予定が

2005年度:67億9500万円
2006年度:68億9800万円

だったが、実際の乗客数は5割以下なので、乗車料収入もこの半分以下だった計算になる。数字は上と同じ「福岡市高速鉄道財政収支計画(3号線)」(PDF)から採った)

支出のうち、利息支払と減価償却費は減少するとしても(※)、予定より30億円以上少ない運賃収入、というのは非常にイタイ。

福岡市交通局は、七隈線の単年度収支は平成27年度(2015年度)に黒字になり、累積でも平成38年度(2026年度)には欠損金が解消する、と予測している。

だが、収入のほとんどを占める乗車料収入が「予定の半分以下」を続ければ、この黒字転換予想も大幅に違ってくる。「福岡市高速鉄道財政収支計画(3号線)」の表で計算すると、平成50年(開業35年目)になっても黒字になりはしないのだ。

自治体の事業は利益を出すのが目的ではないし、公共交通の充実は営業収支に直接現れないメリットがたくさんある(住民の利便性向上、交通渋滞の緩和、交通事故減少、資源や環境への影響、等)。だから少々の赤字であってもやるほうが良い事業はある。

…だけれど、甘すぎる見通しのもとに多大な税金を投入し、財政を圧迫することになるのは困ったもんだよねぇ…。

※補足

利息支払は年を追うごとに減少し、いずれゼロになるが、減価償却費はゼロになるわけではない。鉄道施設・車両が老朽化して、改修や新車両購入をする必要があるから、事業を続けていればずっとかかる費用ではある。ただ、事業を始めた当初のほうが減価償却費が高額だということのようだ。

仙台市交通局のサイト「●総論編【総論・収入・支払利息・減価償却費】」にもそのへんのことは一応書いてあるけれど、「減価償却費は順次減少し、あとは低いところに留まる」という印象を生じさせるような書き方だと思う。福岡市地下鉄の財政収支計画を見ると、必ずしもそうではないのだが。施設改修・車両購入時期になれば、一旦減った減価償却費がまた増えたりする。そこをぼやかしているのはちょっとズルイかなと。当事者(交通局)のサイトだから都合の悪いことは書かないのだろうけど。

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2008.09.14

博多駅・三代の話(4)--開業時の乗車賃はいかほど?

博多駅・三代の話(1)」で、初代博多駅が開業した時(明治22=1889年)の乗車賃はいかほどだったろうか と書いた。

ネットで答えを見つけた。

福岡市博物館のサイト・「近代福岡交通史」より。

「博多から二日市までの汽車賃往復22銭(下等客車の料金、中等は2倍、上等は3倍)、二日市駅からの人力車賃往復14銭の合計36銭で、日帰りでゆっくり宰府(さいふ)参りができる」という新聞記事が掲載されたほど、汽車のスピードはおどろきでした。しかし、明治20年前後というと、かけそば1杯が1銭という時代ですから、太宰府まで往復の交通費が36銭というのは、現在の感覚からすると、非常に高く感じられます。

だそうである。

かけそば1杯---今だと250円くらいか。
すると、博多--二日市(福岡県筑紫野市)往復22銭 → 今の価値で5,500円程度。
中等客車なら11,000円、上等客車なら16,500円。

ひぇ〜〜高け〜〜

ちなみに、現在の運賃:
JR九州 博多--二日市 往復 540円
西鉄 福岡(天神)--西鉄二日市 往復 660円

上の引用から推測するに、博多から太宰府へは鉄道開通以前は泊まりがけで行く場所だったのだろう。天満宮のお参りとか。
鉄道を使って旅館代をかけないのであれば、「超・高い」とも言えないか。

博多--二日市の距離はだいたい15kmくらいなので、徒歩で3時間少々で行ける。日帰り可能な時間だから、やはり庶民はこの料金を出して汽車に乗るのをはばかっただろうね。

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2008.09.03

博多駅の代替わりと町の変容(1)--江戸の町から明治の町へ

博多駅三代の「代替わり」を見てツラツラ考えた。
代替わりの時期が、博多・福岡の町のエポックメイキングになるできごととちょうど重なっているんだなあと。

以下、町の姿と合わせてまとめてみた。

第1期:黎明期
1889(明治22)年  ・市町村制施行 福岡市の誕生
・初代博多駅開業(九州鉄道:博多--千歳川 開業)
第2期:近代都市形成期
1909(明治42)年  ・二代目博多駅開業
・門司--鹿児島 全線開通
1910(明治43)年 ・福岡市に路面電車(福博電気軌道)開業
第3期:都市拡張期
1962(昭和37)年  ・博多祇園山笠の集団山見せが始まる
・「住居表示に関する法律」施行
1963(昭和38)年  ・三代目博多駅開業(場所を移転)
1966(昭和41)年  ・福岡市の町界町名変更
1975(昭和50)年  ・山陽新幹線 博多開業
第4期:ポストモダン(?)
2011(平成23)年  ・四代目博多駅開業予定
・九州新幹線鹿児島ルート全線開業予定

各期の呼び名は私が適当につけたもの。

第1期:市制の施行により福岡市が誕生したのと博多駅ができたのとが同じ年なのはたまたま偶然、ではあろうが。
このとき、市名をめぐってスッタモンダがあったことは地元ではよく知られている。これについてはまた後日書こうかな。

「福岡市」がスタートし、鉄道はできたが、町は木造家屋と狭い道でまだまだ江戸時代の続き。
近代的な都市に変わったのは、明治も末期、電車の通る広い道が整備され、煉瓦造りの洋館が建つようになってからだ(第2期)。
電車通りの整備に際しては、数多くの寺社が移転している。博多駅周辺でも、初代博多駅の時代には従来の場所にあった寺社が、二代目に建て替わったときに移転した(東林寺、若八幡宮)。→近代福岡市街地図(福岡県立図書館のサイト):明治23(1890)年及び明治42(1909)年の地図を参照

初期の鉄道駅は規模が小さく、また、町外れや町の端っこにつくられることが多くて、都市の形成にはさほど影響を及ぼさなかったようだ。
鉄道敷設は明治政府にとっては近代国家建設のための大切な事業だったけれども、地元の人たちには違った思惑があった。
「陸蒸気(汽車のこと)の煙は迷惑だ」
「煙が田畑の作物に害を及ぼす」
「旅館業が廃れる」
「城下町にそんなもん入れるな」
等々…。
鉄道忌避、反対の意見により、駅は町から離れた寂しい場所につくらざるを得なかった。鉄道が開業しても、利用者はエライ人や役人、金持ちくらいで、一般庶民には縁のないものだったんじゃないかな。

しかし、開業後20年も経つと、鉄道駅のステータスはぐんと上がった。駅は威風堂々の建物に替わり、駅前も整備されて、町の正面玄関として輝きを放った。
この20年の間に殖産興業があり、日清・日露戦争があり、「近代的な強い帝国」へのあゆみがあった(それは必ずしも良いことばかりではなかったと私は思うけれど)。

二代目駅が開業した頃、福岡市の人口は約79,000人。博多駅乗降人数は1日約4,000人。初代博多駅開業時と比べ、人口は5割増だが、駅の乗降客は5倍に増えた。
初代博多駅は江戸時代の町の隅っこにあった「停車場」だったが、二代目にして、駅を主役にしたまちづくりが進んだのだなと思う。

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2008.08.28

博多駅・三代の話(3)--駅はずずっと移動

三代目博多駅=今の駅、そして今の場所。
それまで博多の町の南東側に沿っていた駅を、さらに南東にずずずいっと移動した。
昭和38(1963)年のことだ。
↓旧博多駅(一代目・二代目)と現博多駅(三代目)の位置関係
Hakatast955

駅の拡張・移転計画は戦前に持ち上がっていたとのこと。
日中戦争とアジア太平洋戦争で頓挫していたが、戦後、世の中が落ち着いて再び移転計画が始動する。

新たな駅の場所は、畑地の多い南東部だった。
このあたり、江戸時代に福岡藩主が薬用人参(ニンジン)を作らせた場所もあり、現在でも「人参公園」として名残を留めている。

Hakatast954

三代目が開業した頃の博多駅周辺。駅の両隣に博多郵便局と交通センターがあるが、他はまだ空き地が多い。今は日航ホテル、全日空ホテル、朝日新聞ビルなどが並んでいる。

この翌年に東海道新幹線が開業しており、新幹線の博多延伸も視野に入れた拡張だっただろう(実際に博多まで新幹線が開通したのは12年後の1975年)。

※上の写真説明に「西日本一の民衆駅・新博多駅として」とあるのは意味不明。
国鉄(国)がフツーに作ったんじゃないの? なんで「民衆」駅?

※三代目博多駅の建設中、二代目博多駅が国鉄業務をしていたわけだが、両者は場所がだいぶ離れていたため、三代目博多駅を「新博多駅」と呼んだ。が、当時福岡市内を走っていた西鉄の路面電車に「新博多」という電停があり、国鉄の新博多駅とまぎらわしいというので、電停名を「千鳥橋」に変えたという逸話がある。

この博多駅移転のことは、宮脇俊三・著「鉄道廃線跡を歩く」シリーズ(Can books)でも紹介されている。主要駅をこれだけ移動させたのは珍しいのではないかな。

駅位置を南東に大きく寄せたおかげで、博多・福岡の町は南方面に大幅に拡張された。
ただ、このとき、駅・鉄道路線の方向(角度)が40度くらい回転したものだから、駅前道路と博多の既存市街地道路の接続が変則的になり、都市のかたちとしてはいささか奇妙になっちゃったかと。
ほかにやりようもないし、しょうがないけれども。

(しかし、のちに、地下鉄路線がこの変則的継ぎ足し市街地を効率的に繋ぐ設計にならなかったのは「しょうがない」話ではないと思う)

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